ゼネラリスト社会の限界

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 日本の社会はゼネラリスト社会だ。たまたまそのポジションに座った個人がどうこなしてもその組織は成り立つ、という前提で成り立っている部分が非常に多い。これは官僚の世界でも企業の世界でも同じことだ。
 歴史的にみれば、多分長い間(あるいは今でも部分的に)終身雇用制度が続いていることと無縁ではないと思われる。公務員関係の法律に守られて、どんな愚物でもよほどのことのない限り更迭されない日本の官僚制度など、その最たるものだ。
 でもこのやり方で、日本はこれからの世界を相手に、特定の分野でそれぞれの専門知識を持つ優秀な専門家が立ち向かってくる各国に伍して果して生き残っていけるのだろうか。
 当地の日本企業のアメリカ現地法人をみると、そこの社長で英語がしゃべれない(というより日本語しかしゃべれない)人のなんと多いことか。言葉は文化の基本だから、英語をしゃべらないでアメリカ文化を理解することは有り得ない。
 日本語だけしかしゃべれない、ということは、本質的に日本のやり方しか知らない日本人社長が直接アメリカ企業の采配を振るったらどうなるか。彼は誤った認識に基いた、誤った施策を連発しかねない。現にそういう事例がいくらでも当地で散見される。
 その点アメリカ社会では、専門知識を持った人でないと、そのポジションを任されることはないのが普通である。適材適所を選抜するために、アメリカでは学歴偏重といえるくらいにその人の専門知識とそれを証明する学位に固執して人材の選定を行うスペシャリスト社会である。
 だが日本は相変わらずの順送り人事で、組織内の「適当な」(適切な、ではない)管理職のなかから適当に選ばれてアメリカの現地法人に送られてくる、というゼネラリスト社会だ。これでは始まる前から勝負は見えている。
 日本社会をゼネラリスト社会からどうスペシャリスト社会に改造していくか、日本の将来はその成否にかかっている。【木村敏和】

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