日米文化会館:創立30周年記念ガラナイト―4人の音楽家が共演し祝う

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コブシの効いた甘く切ない歌声を披露する黒人演歌歌手ジェロ

 1980年に創立され今年で30周年を迎えた日米文化会館は3月30日、日米劇場で日本、米国、世界で活躍する4人の音楽アーティストが共演する記念ガラナイトを催した。ケニー遠藤(和太鼓奏者)、松居慶子(ジャズピアニスト)、ダニエル・ホウ(ハワイ音楽家)、ジェロ(演歌歌手)の4人の音楽家が、パフォーマンスを見せ祝った。【永田潤、写真も】

「日系社会への恩返しに」とチャリティー公演に参加した松居慶子

 日本で1年間修業を積み名取りとなった遠藤はハワイ出身の日系二世。和太鼓の世界普及に努め、今公演では大小の太鼓を自在に操り、自らのデビュー35周年の節目を飾った。ホウは、グラミー賞受賞者の実力者で、ウクレレを奏で常夏ハワイの雰囲気を演出した。
 松居は、骨髄移植のアジア系のドナー登録を呼び掛けるキャンペーンを支援している。10年ほど前から同劇場でチャリティーコンサートを行っており、会館の30周年記念に参加でき「とても光栄で日系コミュニティーへの恩返しのつもりで演奏した」と述べ、「音楽を通じてみんなの心が1つになることができた」と喜んだ。
 遠藤とジェロはガラナイトの後日、ソロコンサートを開き、30周年記念週間に花を添えた。
 日米文化会館の30周年プロジェクトは、記念一環イベントとして正月に開いた事始めをキックオフとして、今回のガラナイト、11月には前進座を日本から招き歌舞伎公演を催す。


地域に支えられて30年
小阪氏「文化を生かすのは人間」

 日米文化会館は、米国でアジア系最大の文化センターである。多くの日系企業と地元支援者の多大な協力の下に1980年開館した。以来、地域の個人、企業、団体に支えられ活動を継続。南カリフォルニアにおいて日本文化・芸術の発信地であるばかりか、日本人、日系人が集うコミュニティーセンターとしての重要な役割を果たし、日米交流にも欠くことのできない組織である。

日米文化会館の小阪博一ビジュアルアーツディレクター

 会館に勤務し27年が経つビジュアルアーツディレクターの小阪博一氏は、同会館で唯一学芸員免許を持つ。会館の30年を次のように振り返る。
 「会館ができる前までは、日米の文化交流はないに等しかった。劇場が完成したことで交流が盛んになり、雅楽や文楽、歌舞伎など有名な役者に公演を行ってもらいいい思い出が残っている。80年代の日本のバブル経済にも助けられ、支援金など援助を多く受け日本文化を普及させることができ発展した。だが、その後は不況の影響を受け停滞気味」
 小阪氏によると、文化継承の重要性は「文化」の2文字に表れているという。象形文字で、「文」は入れ墨をした人間の姿を表し、「化」のにんべんは人間が立つ姿、右側の「ヒ」は人間が死んでいる姿だという。
 小阪氏は「文化はいつ滅んでもおかしくない。文化を生かすか、死なせるかは人間次第」と強調。「人間(文)が支えて次の世代に伝えていけば、文化は花開く」と力を込める。「化」を上手く使って、「人間(文)が化かして、『花を咲かせよう』(「花」のくさかんむりの下の字は「化」)。それが伝統文化である」。
伊原純一総領事
 日本から能や歌舞伎、文楽など古典文化・芸能を招いてもしっかりとした公演が開ける施設があり、スタッフがいる。アメリカでの文化の発信地のみならず、コミュニティーセンターの役割を果たしていることが大きい。
菅野貢輝・国際交流基金LA日本文化センター長
 日本文化を紹介する全米で最も効果的な施設であり、ここを拠点に文化が花を咲かせている。伝統芸能を紹介することは大切で、小阪さんをはじめスタッフが日本文化を理解している。これからも協力していきたい。
金井紀年・共同貿易社長で同会館理事
 文化を語る上で経済は欠かすことができない。文化継承と経済発展は並行して行われるべきで、文化をサポートしなければならない。文化を理解せずに活動する経済は、持続できないことを日本食販売で学んだ。アメリカでの日本文化普及は日本人が主導してきたが、これからは日系人と協力するべきである。日米文化会館には、両者の融和を図る役割に期待したい。

ジェロ
甘く切ない歌声披露
ファンの心を捉える

 横浜出身の祖母がよく聴いていた演歌を5、6歳の頃から好きになった。演歌歌手を目指し2003年に訪日したジェロ。低迷する演歌界で、ヒップホップ風の衣装を着てステージに上がったピッツバーグ出身の黒人が本格的な演歌を歌った。異色歌手として話題を集め、NHK紅白歌合戦に2度出場した。

思い出の小東京で熱唱するジェロ

 ジェロの母国凱旋公演は、2年前の母校ピッツバーク大学、昨年のワシントンDCでの桜祭り、LA公演の3日前のサンフランシスコ、そしてチケット完売となった今回のロサンゼルス。小東京は、人生で初めて演歌のCD(坂本冬美の「夜桜お七」)を買った思い出の地であるという。
 LA公演では、全16曲を熱唱。コブシの効いた甘く切ない歌声を披露し、会場をいっぱいに埋めたファンの心を捉えた。曲の合間のトークは英語で話したが、客層は約9割が年配の日本人が占めたため時折、きれいな日本語を交え話しかけた。
 デビュー曲「海雪」は、アンコールでも歌い悲恋に苦しむ女の心情を哀切感たっぷりに表現。終盤、米国でもお馴染みの「上を向いて歩こう」では、「涙がこぼれないように」と歌いながらも、LAのファンに迎えられた独特の雰囲気に酔いながら、祖母と母を思い出したといい、感涙にむせぶ姿を見せた。
 ジェロは羅府新報の取材で、「歌手になって紅白に出る夢を叶えたが、演歌を歌い続けることが僕の人生。演歌を歌うために日本に行った。アメリカに戻るつもりはない」と言い切り、演歌界に骨を埋める覚悟を決めている。
 おばあちゃんこのジェロ。「演歌歌手になるからね」と、祖母に誓い日本に渡った。だが、祖母たきこさんは孫の晴れ舞台を見ぬまま他界。演歌を志すきっかけとなった「恩人」である祖母の心を胸にジェロは歌い続ける。

スタンディングオベーションに両手を振って応えるジェロ


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大小の太鼓を自在に操ったケニー遠藤(写真左)とグラミー賞受賞者でハワイ音楽家のダニエル・ホウ(同右)

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