折り紙一考

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 寒かったものの、気持ちのよい年明け。元日は「お正月イン・リトル東京」で、折り紙をさせてもらった。ひっきりなしの人で休む間がなかったが、おもしろい体験だった。Origamiがすっかり馴染んでいることを実感した。こんなにも、折り紙に興味を持つ人がいるのかと驚かされた。
 興味を持って始めたのではなかった折り紙。多くの人が言うように、本にある説明は分かりにくい。どのように折ればいいのかが分からないことが多かった。立体の説明を文字にするとき、表現の仕方がそれぞれの感覚に委ねられるため、それが自分の使う表現と異なると理解しがたい。言葉であれば言い換えができる上、対面で折り方を見せて教えるのは容易だ。言語が異なる人にも伝えられる。文化の伝承とはこういうものかと考えさせられた。子供時分、美術は不得手。想像力、美的センスには縁がなかった。
 折り紙は、折っていくと形はできる。幼児から高齢者まで、誰にでもできる。ただ、一歩踏み込んで、誰かのために何か、作品として何かと考えると奥が深い。ただ、折ればいいというものではなくなってくる。一枚の紙を幾重にも折り込んでいくと、一枚とは思えない重量感、立体感がでてくる。
 同級生からの新年のメールで「どう見ても爺さん。鏡の中の顔と気持ちのギャップは受け入れがたい。今年は歳を考えないで生きようと思う」とあった。齢を重ねることを受け入れてこそ見えることがある。爺さんの顔がどうして悪い。元気で若くて笑っているばかりがいいわけがない。元日から救急車で運ばれた人もいる。調子が悪い、元気がないこともある。それを労わり合える関係が優しい。
 折り紙は、山折り、谷折り、中折り、かぶせ折りと折りを重ねる。折り目に素直にならないときれいにできない。マイナス面に見える裏を隠そうとする工夫が美しい作品を作る。生き方にも通じる。50歳になろうという時からはじめた折り紙。折り方、折り順を工夫することで、折りやすくも形よくもなる。伝承のなせる奥行きの深さ、実にいろいろなことを教えてくれる、すばらしい文化だと思う。【大石克子】

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