トーヨー・ミヤタケ・ウエー:日系写真家の功績称え命名―小東京に新たな名所誕生

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「トーヨー・ミヤタケ・ウエー」のサイン

 小東京のブロック8内のアパート「サクラ・クロッシング」の隣りの小道に日系写真家トーヨー・ミヤタケさん(宮武東洋、1895―1979)に因んで名を付けた「トーヨー・ミヤタケ・ウエー」の命名記念式典が10日午前、同所で催された。小東京にまた1つ、日系史を刻んだ偉人の名を冠した新たな名所が誕生した。
 トーヨー・ミヤタケ・ウエーは、再開発中のブロック8中央の2街と3街間のサンペドロ通りとロサンゼルス通りを貫く小道。未完成だが再開発事業が済むと、プロムナードとなる予定で、春には美しい花が咲く桜並木になる。

トーヨー・ミヤタケさんの銅製の記念碑

 小道には、通り名のサインが掲げられ、アパート外壁にはトレードマークのベレー帽を被り、カメラバッグを肩に掛けたミヤタケさんの銅製の記念プレートが埋め込まれている。式典にはミヤタケさんの長男アーチーさんら家族や日系社会のメンバー約100人が参列し祝った。
 ミヤタケさんは、香川県善通寺市で生まれ14歳の時に渡米。画家を志したが、21歳の時に道を変えた。この進路変更が、写真家として大成し日系社会に名を馳せる転機となる。日系と白人の写真家に師事、23年に独立して小東京に念願の「トーヨー・ミヤタケ・フォトスタジオ」を開業した。
 写真館は太平洋戦争開戦により休業を余儀なくされ、一家はマンザナ収容所への移住を強いられた。収容所内で禁じられたカメラだがミヤタケさんは、レンズを忍ばせ持ち込み手作りの木製大判カメラを完成させた。「2度と起こしてはならない事実(強制収容の悲劇)をフィルムに収めるのが写真家の務めだ」と被収容者の生活を撮影。貴重な写真の多くが後に博物館に展示され、記録・ドキュメンタリー映画にも提供された。
 戦後は、小東京で写真館を再開。ミヤタケさんの人徳を慕う多くの人と親交した。その1人のブルース・カジさんは、収容所内の高校でアーチーさんの同級生。「トーヨーさんに卒業式の写真をきれいに撮ってもらった。収容所を出てからは、小東京のバーでビールをよく飲んだ。とても優しい人だった」などと思い出を語った。命名式典では「今日は記念すべき日で、リトル東京にトーヨーさんの名前が残ってうれしい」と喜んだ。
 アーチーさんが「父は本当にリトル東京が好きで、ここでしか写真館をする気がなかったと思う」と語るように、小東京をこよなく愛した。ミヤタケさんの1920、30年代に撮影した小東京の町並みの写真は稀少であり、町の今昔の比較では多くの古い写真が使われている。アーチーさんは「父が大好きだったリトル東京の通りに名前を付けてもらい、父は喜んでいることだろう」と述べた。
 小東京には既に日系パイオニアの名が付いた、ジャッジ・アイソ通りとオニズカ通りがあり、今回が3番目。小東京歴史保存協会(LTHS、ビル・ワタナベ会長)は、故ハワード・トリウミさん(小東京・合同教会元牧師で小東京再開発に尽力、高齢者昼食会設立など)を顕彰し、現在建設工事が進むアイソ(地下)駐車場(仮称、1街とジャッジ・アイソ通り角)の地上の広場にトリウミさんの名を付けるために交渉に入るという。【永田潤、写真も】

祝典に参加した家族やアパートオーナーの代表ら。右からビル・ワタナベさん、3人目がアーチー・ミヤタケさん

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