日本にもコミュニティー社会を

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 政権交代で民主党が与党となって約1年半、財源確保がないままの福祉への傾斜はとうとう国の借金を1000兆円に迫る水準に押し上げた。財政均衡に見通しのない国債の格付けはさらに引き下げられ、日本はまさに嵐に翻弄される小船のようだ。
 戦後、180度の価値観の転換で民主主義と共に国民の権利意識が高まった。やがて人々の権利主張は留まるところを知らず、反比例して規則にない義務感は抜け落ちていった。私が在米経験を通じて感じたのは、アメリカはコミュニティー社会だということ。人々にとって一番大切なのはわがコミュニティー。だからお金のある人は寄付をし、時間のある人はボランティアで汗を流す。政治も行政もこれらの資金やボランティアを取り込み運営の効率化と市民の共感を得る。
 日本でも古くは町内会や隣組などがあり、助け合いが日々の生活に組み込まれていた。それは義務というより人間として生きる精神的支柱だったように思う。核家族化が進み、人々は都会へ流れ、隣の人が誰なのか、何をしているのか、死んでいてもわからない、という有様になってきた。みんなが自分の権利のみを主張し、してもらうことのみ考える。政治家は票のためなら有権者の耳に心地よいことを最優先して福祉のバラまきをする。その結果が1000兆円に迫る借金である。
 これを解決する一手段として提案したいのが地域に限らないコミュニティー社会の形成である。興味を同じくする人、志を同じくする人たちが共通関心事を抱いて集まればお互いに心が通じ合う。仲間が苦境に立てば率先して助けたいと思うし、皆のためとあればお金も出し汗も流す。政治家や行政はこれを支援し育てるように仕向ければよい。行政をすべて政府や地方自治体が行いその責任を抱え込むのであれば、増え続ける国民や住民の要求に応えるために予算は歯止めが効かない。さまざまなコミュニティーを育て、それを行政の支援に組み込み効率的でコストも安い運営は出来ないものか。そのような方向性を示し人々をまとめてゆくのが政治であり国の戦略だと思うのだが。【若尾龍彦】

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