被災者の佐藤叶さん、自宅と写真館を失っても: 現実に向き合い奉仕活動

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逃げる途中に夫の尚義さんが撮影した迫り来る津波=3月11日、岩手県大船渡市

東日本大震災で被災した岩手県大船渡市に住む佐藤叶さんが5月下旬、小東京で開催されたアジアアメリカ・シンフォニー主催の被災者救援コンサートに出席するためロサンゼルスを訪れた。震災で自宅と長年夫婦で営んできた写真館を失ったが、現実に向き合い前進する佐藤さんに、地震直後とその後の被災地の様子、現在取り組んでいるボランティア活動について話を聞いた。

佐藤叶さん

地震後は「津波」、高台へ
「油断が生死を分ける」

 3月11日。佐藤さんは写真家の夫・尚義さんとともに営む写真館で、いつもと変わらぬ業務をこなしていた。ただひとつ違ったのは、普段なら出来上がった写真を顧客に届ける夫が、どうも仕上がりに不満の様子。その日は配達を行なわず現像をやり直すことにした。この出来事が夫婦の運命を大きく左右することになる。
 午後2時46分。仕事場にいた2人に突然大きな揺れが襲いかかる。立っていることも出来ず、経験したことのない恐怖に、「生まれて初めて『死』を意識した」
 揺れが収まると、次に頭に浮かんだのは「津波」の文字。海の近くに住みチリ地震などで何度も津波を経験していた2人は、すぐに高台に避難しようと車に飛び乗った。夫は写真機材片手に、そして佐藤さんの手には、気付くと普段触れることもなかったクマの小さなぬいぐるみが握り締められていた。「恐怖から、とにかく何かにすがりたい思いだったんでしょうね」。
 「もしあの時、夫が車で配達に出ていたら」。そう考えると身震いした。夫婦は離れ離れになり、車のない佐藤さんは家に取り残され、逃げ遅れていた―。
 一方、住民の中には住居2階に避難する人もいた。チリ地震の際も2階まで浸水することはなく、今回の地震も、それほどまで大きな津波が押し寄せてくるとは思わなかったのだろう。2階に避難した人の多くが数日後遺体となって発見された。「油断、そしてとっさの判断が人の生死を分けることを実感しました」

震災後、がれきと化した家々。中央の建物が佐藤さんの自宅兼写真館

日本人らしく助け合う
避難生活、混乱なし

 高台に向かう途中、電車が通るはずもない踏み切りの前で、運転者がみな一時停止サインの前できちんと止まる光景を目にした。誰もが一刻も早く逃げたいはずなのに、日本人の秩序を守る国民性、行儀良さを見た。
 高台に到着すると、避難してきた人全員が、街を飲み込んでいく津波を前に愕然とした。住んでいた家は根こそぎ流され、誰もが放心状態で、ただ呆然とその場に立ちすくむことしかできなかった。眼下に広がる光景を前に、この時始めて自分が被災者となったことを知る。
 震災後、写真館兼自宅のあった場所に、佐藤さんは毎日足しげく通った。みながそうした。ある人は家族の思い出の品を探すため。そしてある人は行方不明となった家族を見つけ出すため。
 佐藤さんは幸いにも、離れたところに普段は住んでいなかった家を持っていたため、避難所では生活しなかった。しかし直後は水も食料もなく、風呂には10日間入れない日々が続いた。そんな中、次第に親戚や友人、近所住民が食料や風呂を提供し合い、協力して暮らし始めた。
 同市の避難所では最多で約250人が暮らし、当初は水や食料のほか、雨や雪が降る寒さの中、体を温める毛布もなかった。3日が過ぎた頃から食料が届き始め、1日に3度配られた。1週間後には、日本だけでなく海外からの支援物資も届き始めた。
 物資の取り合いはなく、混乱は全く生じない。「柔らかい物は、おじいちゃん、おばあちゃんたちにねー」。小さな子どもたちの可愛らしい声が響き渡り、日本人の思いやりの精神、優しさに触れた。「被災者同士が助け合うなか、ひとりでは生きていけないことを痛感しました」
 一方で、立ち入り自在となった空き家で強盗事件が多発。自宅に戻った家主が、家の中で泥棒に遭遇し刺されるといった殺人事件も発生した。

少しずつ元の生活へ
「備えあれば憂いなし」

 現在は、避難所で生活していた人の半数が、冷蔵庫、風呂、布団などがそろう仮設住宅に移っている。もちろんすべて自己負担。期間は2年間と決まっている。
 医療面は当初、ガソリン不足や道路の閉鎖で薬が充分に入ってこなかったが、今は医薬品の不足はなく、他県からも医師が来るようになった。
 また被災者は学校に通い始めたり、仕事を再開するなど、元の生活に近い日常に少しずつ戻ろうとしている。
 海外からの救援隊の中では米国のレスキューチームが最初に同市に到着した。
 佐藤さんをはじめ、多くの被災者がテレビで放送される海外からの応援メッセージに見入った。「すごくうれしかった。ロサンゼルスからのメッセージも見ました。励みになった」。LAからの支援の声は被災者の心にしっかり届いていた。
 ロサンゼルスはいつ大地震が起きてもおかしくないと言われている。「普段から地震が起こることを想定内に心構えをしておくことが大切」と佐藤さんは力を込める。
 「備えあれば憂いなし。防災リュックがあるだけで違います」。水、バンドエイド、懐中電灯、ラジオなどをバックパックに詰めて備えておく必要性を、震災を通して実感したという。
 「お腹がすいていたら良い案も浮かびません」。非常食の確保も忘れてはならない。

 高齢者など弱者支援
 LA訪問で心機一転
 
 佐藤さんは、帰省中に気仙沼市で被災したロサンゼルス在住の鵜浦真紗子さんとともに、被災者有志で結成された「大船渡サポートネットワーク・センター」のボランティア活動に参加している。
 大船渡市を拠点に、主に高齢者など災害弱者への支援、物資の調達、運搬などを行っている。
 鵜浦さんはこれから支援をしたいと思っている人に「まずは自分の目で現地を見てほしい。そして本当に自分がボランティアできるのかを考えた上で、参加を決めてほしい」とボランティア活動に対する当然の心構えを呼び掛ける。活動内容や同センターに関する問い合わせはメール([email protected])で鵜浦さんまで。
 佐藤さんにとって今回のロサンゼルス訪問は人生で初めての海外旅行。いままで日本国外に出ること自体に気が引けてしまっていたというが、今回、鵜浦さんから5月28日に小東京で行なわれた被災者救援コンサートへの出席を誘われ、二つ返事で承諾。「被災し、毎日を生き抜く生活の中で、新しいことに飛び込む勇気が自分の中で芽生えたのかもしれません」。ロサンゼルスの青空は佐藤さんの心を癒し、今回の滞在は、新たなエネルギー補給になった。【吉田純子】

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