日本政府・秋の叙勲:フジモト、ウェッブ両氏に旭日中綬章授与―日本文化の紹介・研究で 

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 日本政府は3日付けで、平成23(2011)年秋の叙勲受章者を発表した。在ロサンゼルス総領事館管轄区域在住者では、ロサンゼルスのマサカズ・ジャック・フジモト、パーム・デザートのグレン・テイラー・ウェッブの両氏にそれぞれ旭日中綬章が授与される。
 フジモト氏は日本語教育の促進、日本研究の発展と日本文化の紹介に寄与し、ウェッブ氏は、日本文化研究の普及と友好親善の促進に貢献したことが認められた。両氏は15日午後に行われる叙勲伝達式に臨む。
 受章者各氏の対日功績を紹介する。

マサカズ・ジャック・フジモト(83)
ソーテル日本学院シニア・アドバイザー
【旭日中綬章】
 フジモト氏は1928年、カリフォルニア州サンディエゴ郡のナショナル・シティで、広島県出身の日系移民の父親富士本守三とカリフォルニア州グレンデール生まれの帰米二世の母親エミとの間に長男として生まれた。
 6人兄弟・姉妹の農家の長男として家業を継ぐはずだったが、理解ある父親の許しを得て、家族で初めて高校に進学した。パサデナ市立大学で文系準学士号、カリフォルニア大学ロサンゼルス校の理学士、経営修士と博士号の取得の合間に在日駐留米軍に従事した。堪能な日本語が人生の路を切り開くこととなった。

マサカズ・ジャック・フジモト氏

 継承日本語学校であるベニス日本語学園で12年間日本語の教べんを執り、同学園で取得した日本語関連単位のカリフォルニア大学への振替の実現に尽力した。現在も継承日本語学習者の単位認定試験制度は存続されている。
 69年にカリフォルニア州ウッドランドヒルズのロサンゼルス・ピアース短期大学の学部長に任命され、東アジア人文科学講座を開設した。さらに77年にサクラメント私立短期大学学長に就任し、米国本土の主要高等教育機関初のアジア系米国人の学長に就いた。その後79年にはウエストロサンゼルス短期大学学長に就任し、同短大において初の正規のアジア言語講座として、日本語の開設に着手し、講座も受け持った。同様にサンフェルナンドバレーのロサンゼルス・ミッション短期大学でも日本語講座を新規に開設した。ロサンゼルス・コミュニティ・カレッジ学区では今もなお日本語講座は継続されている。
 日本語教育や人文学カリキュラムの改編に着手する際に、日本の各大学や文部省(当時)を訪問し、よりよい教育法を模索した。また30年にわたり神戸市にある神戸女子大学のアドバイザーも務めた。
 86年来、ウエストロサンゼルスのソーテル日系コミュニティーセンターに深く関わっている。同センターとソーテル日本学院とを統合させ、2000年には設立理事長に就任し、05年に同センターと同学院の80周年行事を指揮し、成功を収めた。07年には 「Sawtelle: West Los Angeles’ Japan Town」と題したソーテル日系コミュニティーの写真史を出版。現在はソーテル日本学院のシニア・アドバイザーとして、引き続き幅広く日系コミュニティーの発展に大きく寄与している。

グレン・テイラー・ウェッブ(75)
ペパーダイン大学名誉教授
【旭日中綬章】
 1935年、オクラホマ州南西部のロートンに生まれた。3歳の頃からクラシックのピアノを習い始め、その才能を早くから認められ、ニューヨーク市のジュリアード音楽院の教師に師事し、10代からは米国各地を回り演奏会を行うなど、ピアニストとしての道を有望視された。17歳の時、海外に初めて禅を紹介したことで知られる仏教学者・鈴木大拙教授とリサイタル会場で面会し、同教授の語る仏教の世界観に感銘を受け、日本に興味を持ち始めた。
 テキサス州のアビリーン・クリスチャン大学に進学、宗教学と美術学を専攻し57年卒業、大学在学中にはキャロル夫人と結婚した。その後シカゴ美術館附属美術大学院に1年間在籍した後、国費奨学生としてシカゴ大学の美術史・東アジア研究プログラムで本格的に日本研究を継続し、64年には修士号を取得した。
 その後、フルブライト奨学生として京都大学に2年間留学、鈴木教授をはじめとする仏教学や日本美術の重鎮らの下で学んだ。滞在中は、日本文化の根本的な理解のため、仏門に入り修行を始め、後に臨済宗僧侶となった。また京都では、キャロル夫人とともに裏千家茶道を学び、後に師範の資格を取得した。米国に帰国後も桃山時代の研究を続け、シカゴ大学にて博士号を取得した。

グレン・テイラー・ウェッブ氏

 66年、ワシントン州のワシントン大学人文学部美術科とジャクソン国際関係学部で教べんを取り始めた。日本文化を学生に教える傍ら、ワシントン大学アジア総合芸術研究所の所長に就任し、日米間の文化交流の促進に尽力。例えば主任をつとめたワシントン大学海外研究京都プログラムでは、多数の留学生に京都で日本伝統文化の専門家から多くを学ぶ機会を提供した。70年には、美術史家・野間清六氏の研究を基にした美術史本「The Arts of Japan – Medieval to Modern-(日本美術~中世後期から現代~)」を出版した。さらに同年、生徒がよりいっそう禅や茶道の研究を深めることができるようにと、ワシントン大学内にシアトル・禅センターを設立、また同大学のカリキュラムに茶道を取り入れるなど、今でも活発なシアトルの茶道コミュニティーの礎を築いた。
 87年にはカリフォルニア州マリブ市に移り、私立ペパーダイン大学でアジア文化・宗教学の教べんを取り始め、同大学にアジア文化研究所を創立、所長に就任した。そこでロサンゼルス禅センターや日蓮寺、チベットセンター、佛教大学ロサンゼルス校などの仏教関係団体と関係を構築し、講演会を多数開催した。また、日本の佛教大学の学生をペパーダイン大学に招き日米交流を進めた。キャロル夫人とともに、裏千家淡交会ロサンゼルス協会でも活躍。会長12務め、現在もアドバイザー兼名誉協会長として当地の茶道文化の継承に貢献している。
 04年にパーム・デザート市に転居後も、ペパーダイン大学の名誉教授と佛教大学の客員教授として日米文化交流を精力的に進める。今でも多くの日米両国の教え子から慕われており、長年多くの米国人が日本伝統文化に親しむきっかけを提供している。

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