イノチノキセキ

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 自分の命を意識するのはどんな時でしょうか。
 病気になった時でしょうか。他人の命の儚(はかな)さに触れた時でしょうか。幸せをかみしめている時でしょうか。絶望に打ちひしがれている時でしょうか。
 私たちは数分息をすることを止めるだけで、その命が絶えることを知識では知っているのに、命の奇跡を実感することはあまりありません。
 命というのはその字源から探れるのは、人が集まって、口=神託を受けるという意味です。つまり命は自分がコントロールするものではなく、はじめから終わりまで授けられたものであるという意識が必要なのかもしれません。
 誕生したことが奇跡であり、命名され、その命を預かって生きることが使命となります。
 単に生き続けるのではなく、預かったものであるからこそ、大切に生き抜くことが重要です。生きていることが奇跡だからこそ、生きていることを心から感謝し、喜び、実感するべきなのです。
 東日本大震災を思い返したとき、私たちは自分の命や家族の命、そして他人の命のことを考えます。それはあまりにも多くの方の犠牲があり、それを上回る多くの命の、奇跡の物語があったからです。
 福島にある浪江町消防団員は津波の後に救助活動に出かけ、救出を求める声を聞いていながら、原発汚染による撤退命令で救助できなかったことに今でも後悔の念を持ち続けて生きています。
 そして、「大津波がくるぞ」という声に、一瞬の判断で駆け上がった道や建物によって運命が左右された人々。救えなかった命と、救われた命。どこに、どれだけの差があったのでしょうか。
 私たちが言えるのは預かった奇跡の命をまっとうすることです。今がそして次の世代が明るい世界であるように、命の光りを輝かせることです。今できることを精一杯し、寄り添う。それが亡くなった方への供養でもあり、次に進む第一歩となるのだと思います。【朝倉巨瑞】

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