春のいのち

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 ジャスミンの甘い香りが裏庭に満ちる頃、毎年野鳩がやって来る。ふうう、ふうう。くぐもった温かく懐かしい鳴き声。どこからともなく聞こえてくる。パティオの柱に飾り物をかけているが、そのてっぺんが平らになっている。そこに巣を作る。その上を樹齢21年の赤いブーゲンビリアが傘のように覆い被さっているので、巣は外からは全く見えない。うまいところを見つけるものだ。
 オス、メス二羽が巣作りを始める。終わるとオスはいなくなる。メスは生んだ卵の上に座って温め始める。それから3週間程は何があってもそこを動かない。飲まず食わず。春は天候が不順で嵐も来る。風が吹き荒れ、大雨になる。そんな夜が明けた朝は一番に鳩の様子を見る。いくらなんでもどこかに逃げていっただろう。そう思って見ると、いるのです。雨に打たれて首を垂れ、身体を大きくふくらませて石像のように座っているのです。すごいものです。
 やがて母鳩の胸の下から小さな黒い頭が2つ出てきて、母の口の辺りを忙しくつっつく。子が少し成長してくると、母は餌を探しに初めて巣を離れる。実はこの時が一番危ないのです。漆黒のカラスが獲物を探して迂回していて、ちっ、ちっ、と鳴く声を聞きつける。子がカラスにくわえられてそのまま連れてゆかれるのを見たこともあるし、巣から落ちて死ぬ時もある。自然界にはどうしようもない時もあるし、しかたがないこともある。帰って来た母は子を探してうろうろしているが、残りの一羽を育て続け、母子はある日、ふっといなくなってしまう。飛び立った後は、寂しいけれど、確かな喜びもある。
 一方、人間の方はわが子を殺して、遊び回っている女性あり、子供がいなくなったらまず親を疑うという社会現象なども起こり始めた。子供を育てるという生きる者としての当然で根源的な努力を捨ててしまった後にどんな人間的喜びが残されているのだろうか。身が震える。巣にはまた、新しい鳩がやって来た。子供を産み育てるために。【萩野千鶴子】

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