私がはじめて日本から外へ出たのは1969年で、企業の駐在員としてシンガポールへ行った時だった。日本では年初に東大安田講堂事件があり、また7月にはアメリカの宇宙船アポロ11号が人類初の月面有人着陸を果たした年だ。私がシンガポールに着任して現地の日本大使館へあいさつに出向いたとき、日本大使から最初に言われたことは、「戦後24年が経ちましたが、日本人に対するこの国の国民感情は決して友好とは限りません。このようなところでは現地の人たちへの発言はくれぐれも注意し、慎重にしてください。また、もうすぐ2月15日(日本軍によるシンガポール陥落記念日)です。特にこの日は日本人の外出は控えることをお勧めします」ということだった。わずか四十数年前のことだ。
 当時のシンガポールの路上では日本車を見かけることは少なく、日本車が走っているのを見つけると、おもわず手を挙げて呼びかけたくなったものだった。日本ではまだ海外の品物が「舶来品」と呼ばれ珍重されていた時代であり、日本人にとって海外は一種のあこがれに似た感情を抱かせた時代だったのだ。昨年亡くなった私の長兄は、当時私がシンガポールみやげとして免税店で購入した米国製たばこを渡すと、いつも決まっていうセリフが「あっち(シンガポール)では、お前たちは洋モク吸って、洋酒飲んで、外車に乗って、舶来品に囲まれて毎日を過ごしているとは豪勢だな」だった。
 今アメリカ西海岸で生活している私だが、道路は日本車が目立ち、『Made in Japan』はハイテク技術の象徴といわれるまでになった。「舶来品」という日本語も、もはや死語になっている。
 そして近年、日本の優位性もアジア近隣諸国の追い上げにあっている。例えば特許出願件数は、技術革新を重視する企業の姿勢を示す一つの指標だが、日本の特許出願件数は6年連続で減少しているという。日本企業が自社の開発技術を厳選して出願している事情もあろうが、さびしいことだ。私たち日本人はもう一度「技術と、ものづくり日本」の原点に立ち返り、世界をリードする力をつける努力が必要ではないだろうか。【河合将介】

Leave a comment

Your email address will not be published. Required fields are marked *