グリーフケア(悲嘆回復)

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 人は、「いかに生きいかに死ぬか」が人生最大の課題といえる。人の一生は、生まれてから人生という真っ白なキャンバスに「いかに生きるか」の絵を描き始め、「いかに死ぬか」で死を迎えて筆をおく。
 武士道においては、特に「いかに死ぬか」が最大の命題で、侍は子供の時から切腹の作法を学び非常時の死に備えた。女性も武家ではいざという時に備えて守り刀の短刀と共に、自害の作法と心得を母や祖母から伝授されたという。この覚悟に支えられた意識が武士としての日常の挙措を美しいものにした。
 今日のわれわれも「いかに死ぬか」は最大の課題である。特に病気に冒された人にとっては、免れようのない死は常に目の前に迫っている。日々を死への不安や恐怖と戦って過ごしその時を迎える。しかし、「いかに死ぬか」は当人だけの問題ではない。その人の死を巡って、家族・親族・友人・知己にまで影響を及ぼす。
 近年、「チーム医療」の概念が生まれ、診療科や職種の壁を超えて多くの専門家が連携して医療サービスを提供し、患者中心の医療を施そうとしている。そのチームに若い僧侶が参加を表明した。チーム医療にもお坊さんの果たせる役割があるのではないかと考えたのが動機だ、と新聞記事で目にした。
 彼の体験によると、遺族の悲しみの大きさは、故人がどうみとられたかで違うという。「故人の思いを受け止め、やれることはやってあげたか。それができないと遺族には自責の念が残る。みとりが悲しみの振れ幅を左右する。それなら私もみとりに参加して、悲しみを減らしてあげたいと思いました」とある。これは、愛する人を亡くした悲しみを支える「グリーフケア(悲嘆回復)」というのだそうだ。
 日本の仏教が、葬式しか出番のない「葬式仏教」といわれて久しい。しかしそれを打破して僧として自分に何ができるかを模索している若い僧が増えているようだ。去り行く人にとっては、後に残す人たちの幸せが最大の心残りである。医療のみならず、死のあとの人々のケアまで視野に入れたチーム医療は、大きな意義がある。今後の発展を注意深く見守りたい。【若尾龍彦】

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