日本政府・秋の叙勲:アコスタ、ヤノ、据石3氏に授与―日本と日系社会の発展に貢献

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 日本政府は11月3日付で、平成24(2012)年秋の叙勲受章者を発表した。在ロサンゼルス日本総領事館管轄区域関係者では、アラン・ジェームズ・アコスタ、アケミ・キクムラ・ヤノ、据石和江の3氏に授与される。
 アコスタ氏は、日本の液体ロケット技術の発展および流体工学の日米間研究交流に寄与し旭日中綬章、ヤノ氏は米国における日系人史研究の発展および日系人に対する理解の促進に寄与で旭日小綬章を、据石氏は米国における非核に関する理解の増進、在米被爆者の福祉向上に寄与し旭日双光章をそれぞれ授与される。受章者の対日功績を紹介する。
 なお、3氏の叙勲伝達式は今月、総領事公邸で行われる。アコスタ氏が19日、ヤノ氏と据石氏は21日にそれぞれ行われる。

【旭日中綬章】
アラン・ジェームズ・アコスタ(88歳)
カリフォルニア工科大学機械工学科名誉教授

アラン・ジェームズ・アコスタ氏

 1924年にカリフォルニア州アナハイム市に生まれ、その後ロサンゼルス地域で育った。45年にカリフォルニア大学を卒業し、翌年からカリフォルニア大学水力実験室助手として勤務。52年にはカリフォルニア工科大学で博士号を取得、その後同大学機械工学科の助教授、准教授、教授を経て88年に機械工学科主任教授に就任した。93年には同大学機械工学科の名誉教授に就任した。
 これまでに多くの日本人研究者・技術者を受け入れ、学術研究の人材ばかりでなく、日本のロケットエンジン技術、中でもターボポンプの研究開発を支える人材の育成にも尽力した。特に日本の液体ロケットエンジンの開発に関する貢献は大きく、日本の大学、旧科学技術庁航空宇宙技術研究所、旧宇宙開発事業団から多数の日本人研究留学生を受け入れ、液体ロケットエンジン技術、特にエンジンの心臓部とも言われるターボポンプおよびインデューサーの研究開発には、アコスタ氏のキャビテーション(空洞現象)理論が用いられるなど、大きく寄与した。
 これらの経験を生かし、日本機械学会の英文ジャーナルJSME International Journalの諮問委員として、同学会の国際化に貢献した。また、日本の科学技術振興会(JSPS)と米国国立科学財団(NSF)の共催により日米間セミナーを開催するなど、幅広く日本の学会活動にも関係し、この分野の研究の進展に貢献している。これらの長年の貢献に対して、2000年には日本機械学会より名誉会員の称号が贈られた。

【旭日小綬章】
アケミ・キクムラ・ヤノ(68歳)
元全米日系人博物館最高経営責任者兼館長  

アケミ・キクムラ・ヤノ氏

 1944年、アーカンソー州のロワー日系人収容所で生まれ、戦後カリフォルニア州ローダイ市に転居、その後ロサンゼルス市で育った。高校卒業後、俳優として活躍し数本の映画にも出演する間、自身の日系2世としてのアイデンティティーに関心を持ち始め、カリフォルニア大学ロサンゼルス校に進学、日系移民史研究に携わり、79年博士号を取得した。その後研究対象をアメリカ大陸にも広げ、南カリフォルニア大学やカリフォルニア大学ロサンゼルス校で教べんをとり、現在もカリフォルニア大学ロサンゼルス校のアジア系アメリカ人研究センターで客員研究員を務めている。学術誌への寄稿やその他の著作活動、展示会企画、演劇の脚本・監督など、さまざな媒体を通して国を超えての日系史と日系社会に対する理解促進に貢献した。
 87年から学芸員として全米日系人博物館での活動を始め、さまざな役職を歴任し同館の発展に貢献した。さらに2008年には最高経営責任者兼館長に就任、その後3年間にわたり同館の財政、施設運営、展示企画を統括し、当地の一般市民が日系人史を学び、日系コミュニティーに対する理解を深めることに尽力した。日系文化と社会に関する知識を深めその知識を広く提供する目的で始められた「国際日系研究プロジェクト」の成果を、著書「日系人とグローバリゼーション」(レイン・リョウ・ヒラバヤシ、ジェイムズ・A・ヒラバヤシ共著)にまめた。さらに、館長時代、世界各地の日系移民に関する世界最大のデータベース「ディスカバー・ニッケイ」の立ち上げを推進し、アメリカ大陸各国に暮らす日系人同士の交流および相互理解を深めた。さまざな長年の功績が認められた全米日系人博物館は、ヤノ氏が館長を務めていた10年、ホワイトハウスで博物館に与えられる賞としては最高とされる米国博物館・図書館情報サービス機構栄誉賞を授与された。 

【旭日双光章】
据石和江(85歳)
米国広島・長崎原爆被爆者協会会長

据石和江氏

 アメリカ合衆国カリフォルニア州パサデナ市で生まれ、生後9カ月で両親の故郷である日本に帰国した。両親の出身地である広島市で義務教育を終え、1944年3月に広島第一高等女学校、45年3月に同校家政科をそれぞれ卒業後、45年4月から三菱重工業で女子挺身隊として勤務した。同年8月6日の広島への原爆投下により被爆。その際、爆風で倒れた建物の下敷きになり、腰骨を骨折する被害に遭った。その後、ハワイを経由して生まれ故郷であるパサデナ市に移り、洋裁家を目指してパサデナ・シティー・カレッジで洋裁のデザインを学んだ。
 71年10月、米国原爆被爆者協会の創設と同時に同協会の会員となり、その後同協会の副会長に選任された。同協会においては、在外公館における被爆者手帳の申請交付受付、在米被爆者検診の実現に寄与し、またロサンゼルスを中心とした地域の学生を対象に日本語と英語で「平和特別授業」を実施し、非核に関する理解の増進に貢献した。
 92年9月には、米国原爆被爆者協会から独立した米国広島・長崎原爆被爆者協会が創設された。据石氏は、創設時から副会長を務め、続いて2003年から同協会の会長になってからも平和特別授業を積極的に実施した。10年11月と11年10月には日本国外務省から「非核特使」の委嘱を受け、ロサンゼルス所在のあさひ学園全4校の小学部6年生児童など200人を対象にした特別授業を行ったほか、国連軍縮週間の軍縮・不拡散教育の一環として行われた被爆者証言イベントで証言するなど、日本政府と協力し、核兵器の惨禍を伝え、核軍縮の重要性を発信することに貢献した。

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