「奇跡の学校」と有元史郎

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 私学の技術分野で多くの逸材を輩出してきた芝浦工業大学の創設者である有元史郎については、一般にあまり知られていない。昨年、この有元史郎の生涯を記した本(「奇跡の学校、有元史郎と四人の技術者たち」(大倉直、愛育社刊)が出版され、入手する機会を得た。
 恵まれぬ家庭の事情から筆舌に尽くしがたい苦労をしながら、通常の学生より6年間も遠回りをして東京帝国大学に入学した有元史郎は、1927年(昭和2年)、弱冠30歳、自身がまだ大学生のときに東京高等工商学校(のちの芝浦工業大学)を開校させた。国土が狭く、資源もない日本が欧米と肩を並べるためには、工業立国を目指すしかないと確信し、それまでの徒弟制度にかわる教育機関をつくろうとしたのだ。
 もちろんこのような遠大な計画は史郎ひとりの力では達成不可能であり、彼はあらゆるコネクションを駆使して協力者をひきつけた。今回の本では彼の良き協力者であった「四人の技術者たち」についてもとりあげている。
 5つの学士号を持ち、幅広い知識と信念の人であった史郎だったが、東京高等工商学校を開校させてから11年後、残念ながら道半ば、41歳の若さで不遇のうちに世を去ることになる。
 史郎は開校当初から講義録を出版し、学びたくとも学校へ通えない若者のために教材を提供したり、全学科に「倫理学」の講座を設け、人材の育成につとめるなど、他に類をみない画期的なシステムも取り入れている。
 このところ、低迷を続ける日本の国力に対し、アベノミクス「三本の矢」が話題になっている。三本目の矢である「成長戦略」はこれからが正念場だ。
 持続的な日本の経済成長につなげるためには、産業の新陳代謝の円滑化を図らねばならない。このようなときこそ有元史郎のような国家レベルに立った発想力、実行力、統率力が求められる。
 今回の「奇跡の学校」は現在に相通ずる問題点を提起している点で時宜を得た読み物だ。
 ところで、有元史郎の娘さんである美佐子ヘンソンさんは現在、レドンド・ビーチ市在住で、日米文化交流に幅広く尽力されている。【河合将介】

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