映画の舞台となった長岡市から市長代理として訪米した同市観光企画課の戸田幸正さん(右)と大林監督
 日米間の交流促進活動を行う日米メディア協会が、11日から26日まで、ロサンゼルス日本映画祭を開催している。LAやオレンジ郡、サンディエゴ各所で約19作品を上映。12日には、トーレンス市のミヤコハイブリッドホテルで、大林宣彦監督の「この空の花―長岡花火物語」の上映会と同監督のトークショーが行われ、およそ160人の観客が集まった。
 大林監督は、故郷の広島県尾道で撮影し「尾道3部作」と称される「転校生(1982年)」、「時をかける少女(83年)」、「さびしんぼう(85年)」などの代表作があり、今も多くの映画ファンに愛され続けている。米国ではファンタジーホラー「HOUSE(77年)」がヒットした。
平和と復興について講演する大林監督
 上映作品「この空の花―長岡花火物語」の舞台は、新潟県長岡市。2009年夏、大林監督は縁あって同花火大会の会場にいた。打ち上げられる花火を見ながら、何か人々の深い思いのようなものが伝わってきたという。実は長岡市は旧海軍連合艦隊司令長官の山本五十六の故郷。第二次世界大戦中は米軍の攻撃を受け、多くの市民の命が奪われた。
 また2004年7月には新潟・福島豪雨、同年10月に中越地震が起こり、長岡市は被災地となった。その際、世界中から支援の手が差し伸べられ、花火大会にはこうした平和と復興への思い、そして支援に対する感謝の気持ちが込められていた。
 同作は、長崎被爆二世の天草の地方紙記者の主人公が、中越地震の被災者である昔の恋人の住む長岡を訪れ、長岡花火の由縁と歴史的背景を知るストーリー。
 大林監督は平和と復興のシンボルとなった「長岡花火」を世界中の人に知ってもらいたいとの思いから制作を決意したという。
 「みんなが爆弾なんかつくらないできれいな花火ばかりをつくっていたらきっと戦争なんか起きなかったんだな」。裸の大将として知られ、「長岡の花火」に魅せられ描いた画家・山下清の言葉が映画の冒頭に登場し、観客の心をたぐり寄せる。
 米国人観客のひとりで、大林監督のトークショーを聞くためノースダコタ州からやってきたというベン・ハンサンさんは、「HOUSE」を見て監督のファンになった。同作については、「戦争や震災、平和などテーマが多すぎて少し混乱した」としながらも、「これまでの監督の作風とは異なり、また違ったアプローチ法を発見でき、面白かった」と感想を述べた。
 ロサンゼルスは大林監督にとって思い出深い場所。初めて訪れたのは今から50年前。ホテルにチェックインしようとした時、「俺の息子はパールハーバ(真珠湾攻撃)で日本軍に殺されたんだ。出て行けジャップ(日本人、日系人への蔑称)」と追い出され野宿することに。しかし翌日、ハリウッドの映画館では、自身の作品が上映されていたという。
 「戦後半世紀以上が経ち、今こうして映画祭に招かれ、自分の作品が受け入れられてうれしい」と語る。そしてこうつけ加えた。「映画には世界を平和で結ぶ力がある。この平和への祈りが東日本大震災の被災者への励みになることを願っている」
 同祭は今年で9回目を迎え、一般招待映画からドキュメンタリー、一般公募作品、平和や地球をテーマにした作品など、数多くの作品を上映。収益は昨年同様、東日本大震災の被災地である福島県の子どもたちに寄付される。【吉田純子、写真も】