グアム島にて

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 日本の甥が身内だけの海外挙式をするというので、私たち夫婦も成田経由でグアム島に向かった。
 成田からの搭乗客は、ほとんどが若い日本人のグループかカップル。白砂と青い海の美しいリゾートとしてだけでなく、「3時間で行けるアメリカ」としても若者に人気があるらしい。海辺の式場での結婚式は、花嫁の夢を叶える素敵なものだった。
 式の翌日、若い二人はシュノーケリングに出かけ、私たち夫婦は島内一周ツアーに参加した。
 チャモロ人の島グアムは、16世紀半ばにスペインの、米西戦争後は勝者アメリカの支配下におかれた。そして第二次大戦中は日本が占領し、戦後は米領グアムに。
 島内の各地には、それぞれの時代をしのばせる建造物などが残っているが、とりわけ、日米戦の跡はあちこちに見られた。
 サイパン、テニヤン、グアムと続いた、1944年夏の壮絶な戦い。機銃による銃弾痕の残る岩、日本軍の砲台跡、防空壕…。それらは、リゾート地としてにぎわう島が70年ほど前は戦場であったことを示していた。
 残留兵士の横井庄一さんが、28年間の洞穴生活後に発見されたのもこの島だ。今では横井さんの隠れ住んだ洞穴が山中に再現されて、発見当時の状況を紹介する観光資源となっていた。
 私の母の長兄は、テニヤンで亡くなった一人だ。届いた遺骨箱の中は、石ころが一つだけだったという。10代で召集され独身のまま亡くなった兄のために、90歳となった母をはじめとする妹たちは今も毎年7月、法要のため実家に集う。
 アメリカ空軍基地の点在するグアム島北部、幹線道路から少し奥に入った日本守備軍玉砕の地に、南太平洋戦没者慰霊碑は立っていた。日本から遠く離れた中・南太平洋の島々での戦没者はおよそ50万人。その大半は遺骨も還ることのない人々だ。椰子の葉を揺らすザワザワという風の下で合掌すると、死んでいった人々の声を聴いているような錯覚に陥る。
 この地で果てた人々のことが忘れ去られぬよう、そしてまた島が再度戦場となることのないよう、日本人観光客で賑わうグアムで願ったことだ。【楠瀬明子】

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