「さよなら、正子さん」

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 1964年10月10日は東京オリンピック開会式の日。その日を、体育の日に定めたが、連休にした方が経済効果が期待できるなどとして、第2月曜日になった。東京オリンピックとの関係がわからない人もいることだろう。
 この日を誰よりも覚えている一人だと確信する、和田正子さんが11日に亡くなられた。無事に開会式を迎えた感慨に浸って、開催までの道のりを走馬灯のように思い出し、既に他界したフレッド勇氏を思いながら逝かれたのでは、と訃報を知らされた時に思った。
 彼女の100年の人生は、「主婦」ではあったが普通といえるかどうか、起伏に富んだものだった。
 日本人移民の家庭に生まれ、一時期日本に住み、帰ってきた。結婚した相手が気骨と行動力の故和田勇氏。水泳の橋爪選手たちを自宅で世話した話は知られているが、それだけでなく、親戚や日本からの著名人など、和田家にはたくさんの人たちが出入りしていたようだ。当然、その人たちの食事の用意や身の回りの世話は正子さんにかかっていたという。
 渡米してくる日本人の世話、第二次大戦中の自由立ち退きでユタ州に130人引き連れて移住したこと、東京オリンピックを実現させるために私費で南米の各国を訪問したこと、日系人が安心できるようにと建てた敬老施設、どれも和田勇氏の力によるところが大であるが、そこに正子さんの支えと助けがあったから実現できた。
 いかに内助の力が大きかったか晩年、勇氏が「正子のおかげ」を繰り返していたことからも分かる。
 長女のグレースさんが「アメリカの真珠」の中で、「彗星にしがみついた主婦」と題して正子さんについて記しているが、勇氏という彗星が軌道を外れないように、しがみついて舵取りをしていたということか。
 大変なことの連続だったに違いないが、楽しみもたくさん持っておられた。優しい笑顔で、誰をも包み込む包容力と惹きつける魅力を備えた女性だったと思う。「人間はちっぽけだけど、何でも一生懸命尽くしたら悔いは残らないと思う」とおっしゃっていた姿が思い出される。一つの時代が終わったようでさびしい。【大石克子】

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