Y君の思い出

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 小学校からの同期生・Y君は足が早く運動会ではスター。3年前の中学同期会では、今でも元気で毎回マラソンに出ていると語った。やっと永年務めた職場をリタイアし、奥さんと二人で待望のミカンや米作りを始めたと目を輝かせた。それから間もなく彼のミカンがわが家に送られてきた。Y君の出身部落は山の中、小学校は片道4キロ、中学は6キロもある。中学卒業後57年経った今も、毎日一緒に山道を通ったこの地域の卒業生は仲がいい。
 近年、この地域の農家はイノシシ、鹿、サルの被害に困っている。世話好きのY君は早速イノシシ退治に乗り出した。鉄砲ではなくイノシシ罠をかけるのだ。シーズンに20~30頭も取れると専用冷凍庫を2台も備えた。今度来た時はぜひ、わが家に泊まってくれ。イノシシ鍋でいっぱいやろうと誘ってくれた。そんな元気なY君の突然の訃報が届いたのは2年前。猪罠を見回りに行って帰らぬ人となった。
 車で小学校の脇から山道へ入り、人家が途切れてしばらく走ったところにその部落はあった。友人はあれがY君の家ではないかと指をさす。数百人の参列者でごった返すお葬式で、友人はY君の人望と人々に尽くした人徳に感銘を受けたという。お線香だけでもあげてゆこうと突然来訪の無礼を顧みず屋敷を訪れた。
 車で帰り着いたばかりのご夫人がY君の奥さまか? 恐る恐る名乗った途端、驚いた顔はたちまち涙顔に…。生前のY君は私のことをよく話していたそうだ。仏間でお線香を上げ、応接室でお話を聴いた。革工芸を教える奥さまは新聞にも紹介された腕前、それをご主人の急逝と共にぷっつりと断った。部屋にはそこここに作品が残る。夫君への思いを断ち切れず、Y君の800鉢をこえる盆栽は山に帰し地植えに、千を超える鉢を割って裏庭のポーチに埋め込んだ。
 今ではその一角にパン焼き釜を築き、パンやピザをみんなに配っているという。
 子供たちは社会人となり、孫たちが毎日のように訪れてくれる。残された農作業に励み、地域の人たちに愛されながら夫君を偲ぶ奥さまの様子を知って、深い安堵の思いに包まれながら、暮れかけた山間の部落を後にした。【若尾龍彦】

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