180年前の漂着者たち

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 ワシントン州のオリンピック半島は、西は太平洋に面し、北はワンデフーカ海峡を挟んでカナダと対峙。中央部の山脈は夏でも頂に雪が残るところだ。先ごろ私は日本からの来訪者に同行し、シアトルから約200マイル、半島でも最北西端の地を目指した。
 山道や海岸線をひたすら西に走り、雨が雪になり雪が雨になることを繰り返すうちに車はマカ族居住地に到着した。鳥羽を出て江戸に向かう千石船「宝順丸」が嵐に遭い14カ月の漂流の後に流れ着いたのが、このマカ族の住んでいた海辺。1834年1月のことだ。
 14人の乗組員のうち生き残ったのは、音吉、岩吉、久吉の3人のみ。3人はマカ族に捕われた後にハドソン湾会社に買い取られ、同社の拠点の一つであったフォート・バンクーバーへ。やがてロンドンの地を踏んだ彼らの数奇な運命は、三浦綾子著『海嶺』をはじめ何冊もの本となって紹介されているが、それを読まなくても、日本史に登場する「モリソン号事件」を知る読者はおられることだろう。彼らを乗せて日本に向かったモリソン号は1837年、江戸幕府の「異国船打ち払い令」によって追い返され、3人は郷里に戻ることなくマカオで、またシンガポールで没した。
 オレゴン州境に近いワシントン州バンクーバー市に再現されたフォート・バンクーバーの一画には、彼らを記念する碑が立っている。
 バンクーバーの地に日本に関する情報をもたらし、マカオでは初めての聖書和訳を手伝うなど、彼らが後世に与えた影響は少なくない。中でも特に活躍したという音吉の出身地、愛知県知多半島の美浜町にはその功績を称える音吉顕彰会が生まれ、音楽劇「にっぽん音吉物語」も制作された。
 音吉たちが1年以上かかってワシントン州に漂着したときから180年。今では、知多半島の中部国際空港セントレアからは、日本で製造されたボーイング787の翼や胴体が、「ドリーム・リフター」と呼ばれる大型貨物機によって週3回、シアトル近郊のボーイング工場へ直接運ばれている。
 ワシントン州と知多のこの新旧2つのつながりを祝し、4月の「シアトル桜祭り」には、NPO「知多から世界へ」のメンバー70人が参加。音吉ミュージカルも披露される。【楠瀬明子】

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