旅のはなし

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 高野山に行ったことをこの欄で書いたら、何人もの人から行ったことがあると声を掛けられた。行った場所を共通の話題にできるのは楽しい。
 「日本はどうでしたか?」と聞かれるのが、正直いって苦手だ。「よかった」では、納得しないと思うからだ。相手が何を望んで聞いて、どんな返事を期待しているのか、というのもおかしいが、共有できる話題を待っているような気がする。
 ツアーで観光地を回ったとか、実家にずっと滞在して何をした、温泉に行った等は、共通した話題になりえる可能性が高い。しかし、誰に会ったなど、私的な用事を他人に説明するのは難しい。
 帰国したときは、日本を半分以上駆け回るが、ビジネスマンのような仕事ではなし、観光するわけでなし、温泉巡りでもない。おいしいもの食べ歩きでもない。他人には不思議な旅と見えるだろう。観光地には、まず行かない。そこに、会いたい人がいなければ行く理由がないと思っている。土地は人と必ず結びついていて、その人がいるから訪ねる。理由はさまざまだ。
 高野山は、とにかくお参りする宗教都市だった。出かけようと思い立ったきっかけは、やはり人のご縁からだった。正直、よく分からないまま出かけた。そこから、墓参りの旅が始まった。
 故人と向き合えるのは、お墓が一番だと思っている。だから、なるべく墓参りはしたい。毎年、新しく鬼籍に入る人がいて、行ったことのない墓地を訪ねるのも楽しい。そこにゆかりのある人と行くと、もっといい。故人の思い出話が広がって、これまで知らなかったことを聞かされては、故人の人柄を偲ぶ絶好の機会となる。寂しい気持ちになることもあるが、それは大事なことだ。宗派を超え、遺族や縁者に会い、無言でいる時間を惜しむように、途切れを知らない会話をする。数時間の後、「のどが渇いたね」と笑った。
 故人たちの遺族との間で、話題になったのが亡くなる前の「ありがとう」だ。生涯、最後のこの言葉、うれしいより重く残る。それを受け入れられる時が、一里塚か。ちょうどお盆の時期。帰ってきた時に、「ありがとう」で迎えられたらいいのでは。【大石克子】

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