鈍く生きる

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 抜け目のない指摘や賢い物言いをする鋭い人と対するとき、こちらのことが見透かされているようで、心落ち着かないことがあります。アメリカではイエスとノーをはっきり言いなさい、と誰もが教えてくれます。白黒をはっきりとすることは日常生活の上で大切な常識であることも十分に理解しているのですが、はっきりと境目をつけることに違和感を覚えるときもあります。境目をはっきりさせるということは、上下関係であったり身分であったり幸不幸を分割することを強制する場合があるからです。
 もちろん鋭い指摘をすることは賞賛されることはあっても、通常は責められることではありません。そういったものを承知の上で、自分らしく生き抜くことに価値を見出すことを忘れてはいけません。
 完璧を綴ることは、訓練された人には簡単なことではありますが、なぜだかそういったところを披露されることに違和感を感じる場合があります。それよりも、すこしの欠点や穴をさらけ出し、微妙な鈍感さを伝えられた方が親近感を感じる場合が多いということもあります。
 もちろん穴だらけでは困る場合も多いとは思いますが、すぐには反応できなくても、自分らしく振るまう方が少なくても健康には近いのではないでしょうか。必要のないものを捨てたり遠ざける。必要と感じることだけに反応しながら生きることは、大人として大切な処世術だからです。
 以前「鈍感力」という言葉がもてはやされました。大きな仕事をする人には鈍感力があると言われます。敏感であれば傷ついても立ち直れないかもしれません。敏感であるから許せないこともたくさん発生します。ミスを減らそうと緊張するからストレスが増えることもあります。どんなつらい時にでも、鈍く生きる人には幸福を感じる力が増えてきます。だから鈍く生きる方が良いこともあるのです。鈍い事にマイナスのイメージを持つことなかれ。幸福感や満足感は、鋭敏さよりも鈍さの中に隠れているものです。【朝倉巨瑞】

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