ごまかし言葉

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 ごまかし言葉はよくない。時々事件の起る体罰という言葉、腑に落ちない言葉だ。何度聞いてもおかしい。受け入れられない用語なので言葉の観点から考えてみる。
 そもそも体罰とは何だろうと思って簡易電子辞書を見るとむち打ちの体刑と出る。これでは打たれる方はまるで犯罪者だ。大辞林では懲らしめのために肉体的苦痛を与えることとある。ならばこれを行うことは犯罪と呼べばよい。
 学生やアマのスポーツの場などで指導者や聖職者といわれるはずの教師が、まるで中世の牢屋の仕置き人みたいになって、悪行を働いた訳でもない生徒や選手にむち打ちならぬ暴行を加えるのが体罰。先生やコーチという権威に対して抵抗しない弱い立場の生徒や選手に体罰ならぬ暴力とは即ちリンチであり犯罪ではないか。だから、悪いことをした者に対する力の罰という意味の体罰と呼ばず純粋に暴力犯罪と呼ぶべき。
 指導対象の子供や生徒や選手の身体に暴力の罰を与えるなどという権利は誰にもないし、そんな暴力を受けてそれにより前向きに努力して伸びたり成長するなどということも無い。前向きの結果はもたらさず逆に心の傷とネガティブな影響が出るだけだ。一生の心の傷にさえなるだろう。死を選ぶ子もいるくらいなのだから。体罰という言葉は不正であり暴力犯罪と呼ぼう。良いか悪いかが明確になる。前向きの心を持った厳しい指導は良いが、暴力は言葉も実体もなくすべきだ。
 先の大戦時に、米国政府が西海岸沿岸州を中心に日系人約12万人を終戦後まで各地砂漠や僻地の鉄条網の中に強制的に隔離した。強制収容の告知の一つで米政府は「日系のエイリアンとノンエイリアンを収容する」と書いた。後者が酷い政治的なごまかし語だった。エイリアンは外国人だがノンエイリアンとは非外国人となり、そんな言葉は使わない。非外国人とは自国民のことだから。自国民を犯罪も犯していないのに強制収容するとは流石に書けなかったのでそんな妙な言葉を使ったのだ。憲法違反を自覚するからこんな苦しいごまかし言葉を捻り出してまで強行した違法な行為であった。
 ごまかし言葉は不正を隠すために使われる。良くないのが明白ですよね。【半田俊夫】

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