あすのわが身

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 もう師走、今年も残すところあと3週間。今年の流行語ではなく、私にとって「心にひっかる言葉」は、「こんなところ(日本語が分からない誰も知った人のいない)で死にたくない」だろう。
 異国で老いて、誰も身内がいない、しかも英語ができない、法的な代理人も設定していない。保健や主治医の関係で、全く日本人がいない、日本語を話す人もいない、もちろん日本食もない施設に入居したとする。気になる症状を訴えたくても、思うように伝えられない。そんな環境では、治す意欲も失せて治るものも治らなくなる。
 実際、こんな状況に置かれている高齢者はたくさんいる。日本語のお医者さんに診てもらいたい、できなかったら、せめて日本語の分かるスタッフがいるところに入りたい。しかし、それぞれの事情で思うようにいかない場合がある。
 縁あって関わっている人がいる施設に日本人は彼一人。そこに、日本人女性が入居した。彼女が日本語でいろいろ訴えても誰も理解できない。それで、彼女のいらいらは募り、声高に訴えるので、スタッフも閉口して、私が訪問した時に、彼女と話をしていってくれないかと言われるようになった。気の毒だとは思うが、毎回はできない。私が訪問する相手は別の人で、彼の用事が優先される。
 この彼女のような場合に、対応したケアを考慮してもらえないのかと常々思う。保健制度の変革でこういう状況に置かれている人が増えているような印象を持つのは私だけだろうか。
 倒れる前、患う前に下調べをよくして、自分の主治医はどの病院、どこのナーシングホームに行くようになるのか、そこは意思疎通に不便はないところか、食事はどうかなどを知っておく必要があると思うが、誰しも先のことだと放っておいて、倒れた時には、どうしてこんなところに? になってしまう。
 日本語のスタッフ、ご飯やお粥など、弱っている時には欲しくなる。日本を出てきた時には、そんなものなくてもいいと覚悟を決めていても、実際その身になると、そうはいかないのが人というもの。
 年の暮れ、ほんの少し気持ちが和むことがあって、年を越してほしいものと願う。【大石克子】

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