二世週祭に「ねぶた」再登場:青森とLA、心を1つに

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2007年に初参加し話題をさらった竹浪比呂央さん作のねぶた「信玄」。この夏、感動が甦る

2007年に初参加し話題をさらった竹浪比呂央さん作のねぶた「信玄」。この夏、感動が甦る

 青森から海を渡り、2007年の二世週祭に鳴り物入りで参加した大型ねぶたが今年、再びグランドパレードに颯爽たる勇姿を披露し、第75回記念を飾る。初参加後も、地元のねぶた熱は冷めず、囃子保存会を設立し、子どもねぶたを作って同祭パレードを盛り上げるなど、大切に温め文化を根付かせた。文化継承という熱い思いは、本場青森の人々の心を動かし、ねぶたの現地制作と、その技術指導を約束された。青森とロサンゼルスが心を1つにして、約2年の歳月を掛けて取り組んだ壮大なプロジェクトがこの夏、結実する。LAねぶた祭の仕掛人である、二世週祭実行委員会、制作者のねぶた師、南加青森県人会、南加ねぶた囃子保存会のそれぞれの代表が、ねぶたに掛ける新年の意気込みを語る。【永田 潤】

衝撃デビューの感動が甦る
「千両役者」、パレードで大トリ

 日系社会が誇る伝統の二世週祭(テリー・ハラ実行委員長)の呼び物、グランドパレードで大トリを務めるのは、「津軽海峡・義経渡海」ねぶた。過去3度、青森で制作したねぶたフロートが披露され、今年は2010年以来5年ぶりの満を持しての登場だ。衝撃的なデビューからは8年が経過し、あの感動が甦る。
 ねぶた実行委員会は解散したものの、後を託された形となった、ねぶた囃子は大型ねぶたが「不在」でも、欠かさずパレードに出場してきた。さらに地元の各種イベントに出ては、笛を吹き、太鼓と鉦を打ち鳴らし、ハネトは「ラッセラー」と雄叫びを上げ、元気よく跳ね回った。熱のこもったパフォーマンスを見せて、郷土文化の紹介に努めた。
 2009年と10年には、中型の「三内丸山・縄文鼓動」ねぶたを登場させた上に、二世週祭の中に有志が結成したロサンゼルスねぶた実行委員会が呼びかけ、地元日系社会のメンバー手作りの子供ねぶた―「弘前ねぷた」「金魚」「ロサンゼルスの風景としゃちほこ」「暫」「アキ(二世週祭マスコット)」「走馬灯」「日本町の思い出」などが登場し、夜の小東京を彩った。地元の小学校にも働きかけ、生徒と保護者に金魚ねぶたの制作を教え、パレードに参加するなど、文化普及を図った。
 自慢の作品は「コミュニティーねぶた」や「ロサンゼルスねぶた」「二世ねぶた」などと呼ばれ、日系社会の団結を象徴している。こうした文化の定着により「大型ねぶたを再び」という声は次第に高まり今夏、「千両役者」が再びお目見えする。

「コミュニティー・スピリット」示す
テリー・ハラ二世週祭委員長
75回記念とねぶたの特別な年

 私が2度目となる二世週祭の実行委員長に買って出たのは、今年は75回記念を祝うとともに、大型ねぶたがカムバックする特別な年なのでやりたかったから。他にも委員長に、ふさわしいいい人材がいるけど、個人的にねぶたを見るのを楽しみにしていたので、どうしてもやりたかった。
 ねぶたが、ここロサンゼルスと日系社会に愛され、日本文化が定着している理由は、フロートが、日本・青森の美しい芸術文化なので、地元の人々がその価値を共有できるからだと思う。二世週祭のミッションは「日本文化と日系人の文化を南カリフォルニアの人々に啓蒙する」ことで、LA七夕まつりと同様に、ねぶたはこれにぴったりと当てはまる。

ちょうちん持ちを務めるテリー・ハラ二世週祭委員長

ちょうちん持ちを務めるテリー・ハラ二世週祭委員長

 私がみんなとともに提案した「コミュニティーねぶた」の現地制作が、ようやく実現しようとしている。うれしいことは、向こう数年間、ねぶたが二世週祭に参加できること。ねぶた師の竹浪さんが、ワークショップを行い、制作方法をわれわれに教示してくれる。これは、画期的なことで、青森の人々に敬意を表したい。制作にコミュニティーのみんなが関われば、より一層愛着が沸く。制作を見て、手伝い、各自がペインターになり、クリエーターになることを期待したい。将来、自主制作がうまくいけば、プロジェクトの予算を大幅に下げられることができることも利点である。
 私は2004年から二世週祭の運営に携わっていて感じることは、日本語を話す人の参加が減ってきた。どのようにして、何を手伝えばいいのか分からなかったのだろう。でも、ねぶたには積極的に参加し、英語を話す日系人と助け合っていてうれしい。共同で何かのプロジェクトをする時、常に「言葉の壁」を感じるけど、芸術や文化についての共通のテーマがあれば、心を通わせ合って、あらゆる言語の大きな壁を越えることができる。二世週祭は、それを実証していると思う。
 ねぶた実行委員会は2007年に解散したけど、お囃子はずっと練習を続けてきた。また、子どもねぶたと、金魚ねぶたを作って、地元のラテン系小学生とその保護者を巻き込むようになり、日本文化に慣れ親しむようになったのは、素晴らしいこと。まさに、われわれのミッションをねぶたが助けてくれた。
 ねぶたを成功させるためには、われわれにとって巨額の費用を必要とする。地元の企業や団体、個人に協力をお願いしたい。二世ウィーク・ファンデーションもファンドレイジング・イベントを企画しているので、参加してほしい。そのキックオフイベントが、ボウリング大会(1月18日午後2時・小東京)で、その他バラエティーショーなども考えている。二世ウィークの活動は、夏だけではなく年間を通して行っているのが強みで、こういうイベントができる。
 「コミュニティー・スピリット」という私が言い続ける言葉を紹介したい。コミュニティーは、言うまでもなく日系社会。スピリットは、日本文化と日系社会の遺産の継承を意味する。このスピリットを、次世代の日系人と他の南カリフォルニアの人々に示すことがわれわれの役目。ねぶたを機会にしてもいいし、どんな行事にでも、どんな形でもいいから、二世週祭に参加してもらいたい。「コミュニティー・スピリット」を見せよう。

「ねぶたは、みんなのもの」
岡本雅夫・二世週祭理事
ワークショップで文化普及に拍車

 2007年の最初からずっと私は、ねぶた祭にかかわっている。二世ウィークにねぶたを招致する発案をした塚原一浩さんや、ねぶた実行委員長を務めた池井宗之さん、資金集めに奔走した米田昭正さんなど地元の実力者が帰国してしまったので、穴埋めはたいへんだけど、みんながんばっている。青森から送ってもらった「三内丸山 縄文鼓動・子どもねぶた」を2回出したり、地元の小学生に金魚ねぶたを作ってもらったりして普及に努めている。
ちょうちんを持つ岡本雅夫さん

ちょうちんを持つ岡本雅夫さん

 二世週祭実行委員長(2014年)として、去年の10月に訪日した際に、青森県人会と囃子保存会の両会長と合流して、3人で青森を訪問した。市長と商工会議所、青森観光コンベンション協会、菱友会(三菱系のねぶたの支援団体)の人たちが歓迎してくれ、協力を約束してもらった。前回の青森での関係者が、LAから来たということで、100人くらいのメンバーが急きょ集まってくれ、期待の高さを感じた。二世ウィークに参加したことのある青森の人が言うには「とにかくLAのねぶたは、凄かった。青森のハネトは、2時間も続けて跳ねることはしない。しかも休まないで跳ね続けた。考えられない」と誉めてもらった。
 制作者の竹浪さんからは、LAのねぶたの火を消さなかったことを高く評価された。「ねぶたは、青森と菱友会だけのものではないので、みんなのものにして下さい」という言葉を忘れないようにしたい。
 コミュニティーワークショップを開いてもらうので、二世ウィークにしかできないアカデミックなものにすれば、文化の普及に拍車がかかると思う。ワークショップの回数など、段取りをこれから考える。パレードに毎年参加しているラテン系の小学生を呼び、本当のねぶたを作っているところを見せれば、おもしろいだろう。台上げ式(6分割して制作した、ねぶたの各パーツを合体させ台車に載せる作業)は、お神酒を備え、お祓いも行って、青森の儀式に倣いたい。
岡本雅夫さんが制作した「しゃちほこ」(右)とロサンゼルスの風景

岡本雅夫さんが制作した「しゃちほこ」(右)とロサンゼルスの風景

 地元でねぶたを作り、何台もできるようになれば素晴らしい。私自身も子どもねぶたを2基「暫」と「しゃちほこ」を2009年に制作した。作り始めて、立体化すれば、おもしろくなる。みんな作れば、ハマると思う。そうやって広がればいい。大きくなくてもいいから、数が増えれば、おもしろくなるだろう。娘からは冗談半分に「早く引退して、青森に修業しに行ったら?」と言われている。皆が、ねぶた制作修行に行けばいい。
 青森ねぶた祭が終わった1週間後の8月16日(日)に二世ウィークパレードの一環としてのねぶた祭を行う。夜7時に出発し、通常のルートを練り歩く。約1時間半就航して、博物館前か、ミヤコホテル前で終わらせるつもり。パレード後は、閉会式に櫓の横に置いて飾りみんなに見てもらって、75回のフィナーレを飾りたい。
 これから、ねぶたの資金集めを行う。ねぶたフロートと太鼓の各台車の提灯とサインに寄付者の名前や企業名を入れる。協力をお願いしたい。

ねぶた師・竹浪比呂央さん
2度目のLA「楽しみ」

 現在、ロサンゼルス用のねぶたを制作している。全6ピースのうち、顔など上半身の2ピースのみ青森で作り、LAへコンテナで送る。LAの県人会と二世ウィークのスタッフは、熱い人ばかりなので、エネルギーをもらって、制作に打ち込んでいる。今年は青森用を2基、LAは1基作り、2007年以来の2度目のLAを楽しみにしている。2月に現地入りして、制作を開始する。私と弟子5人、他のスタッフも同行し、約10日間滞在する。

ねぶたの制作で、色を塗る竹浪比呂央さん

ねぶたの制作で、色を塗る竹浪比呂央さん

 LAでのワークショップは、われわれの制作現場に来てもらい、手伝ってもらえればベスト。ある程度の感覚を掴んでもらえれば、次回からは、小さなものでも作ってもらって、それがLAで定着すれば、青森ねぶたとは違うねぶたになるので楽しみだ。青森県人の「ねぶたを世界に広める」という思いが、LAから始まってほしい。
 二世ウィークに出すねぶたのテーマを「津軽海峡 義経渡海」に決めたのは、アメリカで発表するには、日本の侍がいいと思ったから。侍の中で、日本人では誰でも知っている人物、義経を選んだ。義経が岩手・平泉で敗れたのが史実にあるが、逃れて津軽海峡を渡って北海道に行き、さらに大陸に渡り、モンゴル帝国のジンギスカンになったという伝説がある。津軽海峡を渡ったとされることから青森に関連がありまた、青森県人会として二世ウィークに出すので、日本を代表する歴史上の侍の紹介とともに、青森の津軽海峡のPRのためにと、思いついた。
 青森は毎年の祭の後、ねぶたを解体し、翌年また新しいものを作る。こうして民族的な行事としてずっと続いてきた歴史がある青森に対して、LAは事情が違うので、ねぶたを定着させるためには、同じねぶたを次の年に使ってもいいと思った。そうすれば、祭は成立し、ずっと続いて行く。1つのコミュニティーとして、同じ目標に向かって何かをやる手伝いになるといいので、数回使ってもいいという思いがあった。
 LAは、2007年から地元に囃子の保存会を作って練習をしている。その翌年から二世ウィークに参加して、規模は小さいながらも、毎年ねぶたパレードを行っている。これまで海外では、ねぶたを披露して終わりということばかりで、地元の人が参加したり、その後に文化が定着することはなかった。驚くのは、みなさんが、お囃子を立派にやられていて、すごい。私が初めて行った時から、7年経ってもLAの人々は忘れていない。とてもありがたい。熱気があって定着しているからこそ、応援に行きたい気持ちにもなった。業務的に行って、やって来ますとは、全然違う。ねぶたがなくても、囃子とハネトだけでも続けてきたのは驚き。
 今回は、「青森ねぶた」を持って行くというよりも「LAねぶた」の応援に行くという感じ。呼ばれたというよりも、励ましに行く感じがする。われわれが二世ウィークに行こうと、行くまいと、毎年ねぶたパレードをやっているので、それを盛り上げるために応援に行くという感じで、楽しみにしている。

「ねぶたプロジェクトの集大成」
奈良佳緒里・青森県人会会長
青森とLAをつなぐ大切な役割

 青森とロサンゼルスのコネクションを私が青森県人会の会長をしている間に、どうしても作りたかった。だから、訪日するたびに必ず青森に足を運んだ。県と市、ねぶた関係の人たちに会って、たいへんお世話になり、ロサンゼルスの日系社会と青森県人会の「ねぶたに対する情熱」を紹介し、価値を共有できるようになりうれしい。
 昨年は、二世週祭理事の岡本雅夫さんと、ねぶた囃子保存会の会長豊島年昭さんの3人でお邪魔し、10人くらいの関係者を紹介することができてよかった。市長と面会し、今年の二世週祭の参加を打診し、前向きに検討するといいうことなので期待を持ちたい。ねぶたをこよなく愛する市長は、友好的で「ロサ

パレードで鉦を鳴らす南加青森県人会の会長を務める奈良佳緒里さん

パレードで鉦を鳴らす南加青森県人会の会長を務める奈良佳緒里さん

ンゼルスで青森の文化を広めてくれてありがとう」と誉めてもらった。青森の各地を訪れて感じたことは、ロサンゼルスのねぶたは「青森県人の誇り」だということ。青森の文化を伝えて守りたい。
 2月10日に青森からねぶた師の竹浪さんが弟子5人を引き連れ、ロサンゼルスに制作にやって来る。竹浪さんは、何度も受賞したことのある素晴らしい芸術家。リトル東京の倉庫で行う作業を公開するので、見学して、作り方を覚えてほしい。特に若い大学生、高校生に期待を持っていて、100人見学に来たら5、6人でいいので興味を持ってもらいたい。その子たちが数年後に、アメリカでねぶたを作るようにしたい。
 ねぶたパレードは、フロートを見せるだけではなく、日本・青森とアメリカ・ロサンゼルスをつなぐ大切な役割を担っている。東京や京都、大阪は外国で知られているけど、青森は未知なので「青森のために」「日本のために」という大義を持ってやっている。そして、きれいなねぶたを見たロサンゼルスの人々が、いつか本場の「青森のねぶた祭を見たい」という気持ちなるように頑張りたい。
 今年のLAねぶたパレードは、特別である。青森とロサンゼルスの心が一緒になった祭だと思う。日本人は、ロサンゼルスに移り住んで、いろんなことを経験して、アメリカにお世話になった。その恩返しの意味合いを込めて「これまで青森とロサンゼルスが積み重ねて来たねぶたプロジェクトの集大成にしたい」

「二世ねぶたが生まれる」
豊島年昭・ねぶた囃子会会長
小東京に倉庫購入し備える

 二世週祭にねぶたが2007年に初めて参加し、ロサンゼルスと日系社会のみんなが喜んで興奮した。心を打たれ、ねぶたのことをみんなが忘れられることができなかった。「お金が掛かるので、囃子ならできる。LAに遺そう」と、同じ年の10月に囃子保存会を作り、ねぶた好きと音楽好きが集まって笛と太鼓の練習を始めた。09年に青森から先生を呼んで、教えてもらい上達し、地元のメンバーだけでパレードに参加できるようになったことがすばらしいこと。「手作りのお囃子」ができて本当に良かった。
 07年の初ねぶたは、日系企業が青森と交渉してお膳立てしてくれ、われわれは、ただ参加しただけだった。その後、ねぶた委員会は解散して、米田さんら駐在員が帰国し、二世週祭と県人会、囃子保存会が引き継ぐ形で運営し、今までねぶたを簡単に呼んだと思っていたけど、その大変さと、ありがたさが初めて分かった。

南加ねぶた囃子保存会会長の豊島年昭さん。パレードでは、笛と太鼓を元気に演奏する

南加ねぶた囃子保存会会長の豊島年昭さん。パレードでは、笛と太鼓を元気に演奏する

 10月に青森を訪問し、市長、商工会議所、観光協会から「ねぶたは海外では、その時だけ盛り上がって消える。LAだけが火を保っている」と感謝され「協力したい」と約束され、青森からの期待を感じ、青森とLAの両方に共通の夢があると感じた。
 過去3回、ねぶたを披露したが、すべて青森で作ったものばかりで、今回はアメリカで作る。「アメリカ生まれの『二世ねぶた』が生まれる。ベビーが、生まれ、歩き出すのが楽しみ」。大事なベビーを保管する倉庫をリトル東京に買って準備を整えた。アメリカねぶたの1からの出発にふさわしい、二世ウィークの75回記念を祝いたい。仕事(すし店店主)をほっぽり出しても、成功させる重責を感じている。
 ねぶたの作り方を、地元の人が竹浪さんから習い、将来は弟子になってもらいたい。日本人でなくてもいいから後継者のアメリカ人ねぶた師が育ってほしい。ねぶたフロートは何回使ってもいいので、色褪せれば、アメリカ風にお色直しをしたい。
 囃子は今も月2回練習している。メンバーは22、23人で、本番はいつも30人以上集まって、サンフランシスコからも助っ人が来る。前回同様にツアーを組み、日本から100人くらい来るので今年は、在米の他の青森県人会にも声を掛け、盛り上げようと思っている。
 私は青森出身だけど、子どもの頃は、ねぶたは見るだけだったので、囃子の中に入って、裏方になって、その面白さが分かった。メンバーの数は多いほどいいので、みなさんにも入って演奏してほしい。パレードに囃子で出れば、英語が通じなくても見物人に心は伝わる。
 資金集めをこれからスタートする。心配事は絶えないけど、二世ウィークと県人会、囃子保存会の「やる気だけは、誰にも負けない」と思っている。みんなで、ねぶたを支えよう。

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