女3人寄れば姦(かしま)しい、とはよく言ったもので、姦しいかどうかはともかく、立ち話でも話ははずむ。
 1人は日本語学校のPTA役員Nさん、もう1人は2年前まで日本で教職にあり、渡米のため退職したS先生で今も教育者としての矜持を保っておられ、あとの1人は最年長で、ただのおばさんの私。
 帰国子女が日本の有名校で頑張っているという話から日米の教育や躾の違いに話は及び、「アメリカの子供たちが自分の教室の掃除を用務員任せにするのはどんなものだろう。子供たちが汚した場所は、子供たちに掃除をさせるべきで、そうすれば公共の場所でも、やたらに汚したり散らかしたりしなくなるのでは…。日本の学校で生徒、児童に教室の掃除をさせるのは良い教育だ」という点で大いに意気投合。
 その辺りから私たちの子供の頃は…という話になり、私が、みんなで糠袋で廊下を磨かされたと言ったとたんにお二人が「えっ? 糠袋ですか」とびっくり。
 そう、私の子供の頃は母が炒った糠を袋に入れてもたせてくれたものです。そこでS先生がこの頃は木の床がなくなりまして、リノリュームの床にワックスをかけるんですよと教えてくださる。
 これだけのズレをものともせず、最後まで話の輪から抜けようとしなかったおばさんだが、こんな会話で一般のニュースだけでは分からない今の日本の事など学べるわけである。もちろんお二人に「古いんだなァ」と思われているのは百も承知。
 と同時に、教室の後ろに箒や雑巾、バケツなどの掃除道具を入れたクロゼットがあったこと、夕日が射し始める教室で、早く帰りたいのを我慢しながら、当然の義務として掃除をしていた昔を思い出す。
 そういえば一番嫌なお便所掃除の当番もあったっけ。確か水洗じゃなかったはず。
 今のアメリカであんなことを子供にやらせたら、先生も学校も保護者から吊るし上げにあうことだろう。
 電子計算機もコンピューターも知らず、ユニセフからの配給の粉ミルクとコッペパンの給食で成長し、教室や便所の掃除をさせられ、糠袋で廊下を磨かされたあの頃の自分を、なぜか不幸だったとは思えない。【川口加代子】

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