星港(シンガポール)の街かどで ⑥:在シンガポール日本大使館参事官 伊 藤 実 佐 子

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町のあちこちでも即席弔問台が作られ、熱心に見入る市民たち

町のあちこちでも即席弔問台が作られ、熱心に見入る市民たち

 シンガポールの建国の父リー・クアンユー元首相が亡くなった。享年91。当地に着任して間もない頃、名所である植物園を散歩していたら、まったりとした日曜日の夕方には似つかわしくない緊張感を漂わせるゴルフカートの一群が、すぐ横を通り過ぎた。ふと、2台目のカートに座っている少し青白い肌合いの老人の横顔をみて、私にも状況が察知できた。前から歩いてきてこのカートとすれ違った人々も、興奮気味に囁く。「LKY(名前の頭文字)だ」「ミニスター・メンター!(引退後、内閣顧問を務めた際の呼称)」「ミスター・リーだ」と。

国立博物館では、逝去から3日目には展示数は少ないながらも、縁の品物やパネル仕立ての展覧会がオープンした

国立博物館では、逝去から3日目には展示数は少ないながらも、縁の品物やパネル仕立ての展覧会がオープンした

 3月23日月曜早朝の逝去から日曜29日の国葬まで、政府は服喪を宣言した。遺体は病院から自宅に戻ることはなく、そのままイスタナ(官邸)に安置されて閣僚や近隣諸国要人の弔問を受けた後、水曜日には一般公開弔問のために、伝統にのっとり陸軍のガン・キャリッジ(砲運搬車)で議事堂に移送された。現首相であり親族代表の長男リー・シェンロン氏をはじめ、家族たちが着ている白いポロシャツが、棺にかけられた国旗の赤とイスタナの深い緑に映えてまぶしかった。
 その日から始まった市民たちの弔問の列は、最高で待ち時間11時間に及んだ。市内18カ所にあるコミュニティ・センターでの記帳場にも、それぞれの選挙区を抱える議員たちが連日現れた。そして市民たちと一緒に故人を忍び、語り合い、多民族国家の団結ぶりを示す姿が連日報道された。120万人が参加した計算である。
 政府が立ち上げた特別の追悼ウエブサイト「リメンバリング・リー・クアンユー」は動画配信もしていたし、政府系テレビ局も特集番組を終日流していた。なかには、青函トンネル開通式に参列するリー首相夫妻の映像など、貴重な映像も含まれていた。聞けば、4年前からこの特番の準備をしていたらしい。
 今から50年前、マレーシア連邦から追い出される形で独立したこの小さな国を、国民一人当たりの年収では日本を凌ぐ先進国にしたリー氏の発奮ぶりは、第2次大戦中、日本に占領されたことがその原動力だったことは広く知られている。
逝去から国葬まで、連日各紙で追悼特集が組まれた。左下は国葬の前日、一般弔問客の列が夜中まで最長11時間待ちとなった様子

逝去から国葬まで、連日各紙で追悼特集が組まれた。左下は国葬の前日、一般弔問客の列が夜中まで最長11時間待ちとなった様子

 ただ同時に、「現在の中国や韓国と違って、日本の過去の過ちに対し『許す力』を発揮した」のもリー氏だった(ジョン・カーティス・ペリー教授)。すべての公式儀式終了後、孫の一人が火葬場で述べた弔辞は、それまでの一週間が、リー氏が築いてきた過去50年を回顧するものであったのと鮮やかな対比を見せ、「祖父は『明日の人間』だった」と語った。後生に伝えられるであろうこの名演説は、一時代の終焉と、そして新たな始まりの予兆を感じさせるものだった。【伊藤実佐子、写真も】

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