パウエル街を歩く

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 バンクーバーのダウンタウンの中心街から東に歩くと、歴史的な様相と雰囲気のあるカフェなどが並ぶガスタウン地区の先にパウエル街があります。1891年、横浜出身の石川勝蔵がここに日本人向けの旅館「JAPAN ROOM」を開いた頃から、この場所を中心に日本人のコミュニティーが徐々にできたとされています。人口が増えてくると白人との対立が表面化し、バンクーバー暴動が起き、パウエル街の日本人たちは一致団結し、日本刀や木刀を振りかざして防戦したそうです。この地でも差別との闘いの歴史がありました。
 100年を越える先人たちの空気を感じようと、パウエル通りを歩くと、オッペンハイマー公園がありました。日曜日の午後にゆったりとした時間を過ごすために佇む人たちに混じって、原っぱのようなグランドのバックネットの上部には『Asahi 1914-1941』と記されたボール型の看板が付けてありました。日系人の野球チームAsahi軍は、『brain ball』と呼ばれたスピードとチームワークで、体ではかなわない白人のチームの中で強豪になっていきました。Asahi軍の試合には鈴なりの観客が囲み、巨人軍が1935年に北米遠征した際には、伝説の名投手・沢村栄治とも対戦をした程、強く人気があったのですが、日米開戦とともにチームは消滅したそうです。映画「バンクーバーの朝日」で見た風景がそこにありました。
 この街をかつてジャパンタウンというだけでなく、リトル横浜という愛称で呼んだのも、この海沿いの街が醸しだす洒落た匂いであり、カナダ第三の都市であるバンクーバー市と横浜市が後に姉妹都市になることもうなずけます。決して治安が良いとは思えないこの地区では多くの店舗のシャッターが閉まっており、入り口の傍らには、以前あった日系商店の名前が刻まれていました。すでに日本人街の面影も持たないパウエル街ですが、毎年夏祭りがおこなわれています。いつか、かつての賑わいを持った街に変わっていくことを願いながら、ゆっくりと歩を進めました。【朝倉巨瑞】

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