最後の居場所

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 自宅の近辺に、何軒かの介護ハウスがある。普通の平屋の4寝室を施設用に改造し、介護を必要とする高齢者を1軒で最大6人までビジネスとしてお世話している。高級住宅並みのものから、平均レベル、質素な家まで、さまざまである。用事がありその何軒かを訪れ、居住者の生活を拝見する機会がある。
 介護を必要とする人たちを預かっているから、苦痛を和らげる医療介護が最優先である。その上に毎日を楽しく生きていくため、さまざまな工夫がされている。日々決まったスケジュールの上に、誰々さんの誕生日、何かのイベントなど、生活にリズムとメリハリをつけようとしている。以前は訪れると、おしっこの臭いがするところもあったが、ライセンスや規則のチェックが厳しくなり、今はどこでも清潔である。これは簡単なようだが現場の方には大変な作業であろう。
 日本人が経営者の施設には、日本女性が働き、日本食が供される。なんといっても日本人の相手を思いやる気配りの温かさには定評がある。それ故に、これらの介護ハウスは入居希望者が空き部屋待ちの状態だと聞く。
 われわれは高齢になると子供に帰るという。英語圏で奮闘してきた私たちだが、加齢とともに英語を話すのが面倒くさくなり、日本語しか口にしなくなる人もいるという。だから家族と離れていても、周りから日本語が聞こえてくる環境は、入る者もその家族もどこかホッとして安心するのだろう。
 昼食後、居間で皆がテレビを見ながらくつろいでいる姿は普通の家庭の団らんのようだ。台所では介護人の食後のかたずけ、薬を飲ませる準備など、活発な動きがある。集団生活だからわずらわしいことも当然あるだろう。が、一軒家という小さな社会とのかかわりは一人暮らしよりは刺激があり、脳の活性化にはいいだろうし、家庭生活も半分味わえる。
 誰でも他人の世話にはなりたくない。しかし老いは平等にやってくる。一人では生活できなくなった時、どこに行くか。情報を集め、現場を視察し、準備しておく必要があるだろう。元気なうちに、今日を悔いなく生きながら。【萩野千鶴子】

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