あしなが育英会:国境なき教育支援促進

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羅府新報を訪問した玉井義臣あしなが育英会会長(中央)、岡崎祐吉さん(左)、田上菜奈さん

羅府新報を訪問した玉井義臣あしなが育英会会長(中央)、岡崎祐吉さん(左)、田上菜奈さん


 交通遺児や病気遺児、災害遺児に奨学金を無利子で貸与するなどの教育支援を半世紀以上の長期にわたり継続している「あしなが育英会」の玉井義臣会長(81)がこのたび、岡崎祐吉国際担当理事、田上菜奈会長室秘書とともに羅府新報を訪れ、育英事業や海外日本語新聞事情などについて、編集担当者と意見交換した。

 1963年(昭和38年)12月、大阪府池田市の自宅前で暴走車に轢かれた母親の交通事故死が、事故や災害で親を亡くした遺児を支援する「あしなが運動」の原点になったという玉井会長。
 68年には「交通遺児を励ます会」に参画して街頭募金活動を始め、その後は継続的に支援を寄せてくれる「あしながさん」制度を発案するなどして、これまでに約950億円の支援金を集めて救済事業を継続、発展させている。
 今回の海外視察ではまず、カナダのバンクーバー、トロントでの視察を経て、サンフランシスコとロサンゼルスを訪れ、エレノア・ルーズベルトの孫に当たるジュリアナ・ルーズベルトさんら関係方面を訪れて交流を深めるという。
 遺児救済に当たることが自分の天職だと言う玉井会長。半世紀を超える活動を続ける中で、立ちはだかった幾多の障害や困難をこれまで乗り越えてきた。
 93年後半ごろから、交通遺児育英会内では玉井氏が計画していた災害や疾病遺児をも対象とする育英奨学金制度をめぐって人事抗争が起こる。大物政治家や官僚、それに一部メディアが加わって反玉井派が形成され、新理事長には総理府出身の元官僚が送り込まれる。こうした動きに反発して玉井氏は94年3月末に専務理事を辞し、前年に発足したばかりの民間団体「あしなが育英会」へ活動の場を移すことになる。
 95年1月に起きた阪神・淡路大震災では震災遺児を捜し出しては支援の手を差し伸べ、遺児たちの「心のケア」をするセンターとして神戸市東灘区に「虹の家」(レインボーハウス)を完成させている。
 また、あしなが育英会は2007年まで、約750人の日本人学生をブラジルに1年間、留学させるプログラムを実施して成果を収めてきた。現在はアフリカの貧しい学生を対象とした留学プログラムを欧米や日本などで実施している。
 交通遺児を対象に始められた奨学育英プログラムは時代とともにグローバルなものへと変化し、戦争やエイズなどの疾病による遺児救済にまで幅を広げて、国境なき教育支援活動を推進中だ。
 2011年3月の東日本大震災では、被災して「着の身着のまま」の状況に置かれたゼロ歳児から大学院生までの震災遺児にどこよりも早く救済の手を差し伸べている。この時は、阪神・淡路の経験を生かし、災害状況を考慮して奨学金というよりも何に使ってもよい「使途自由」の支援金とし、しかも育英会初となる返済不要の給付金として一人当たり一律200万円を贈っている。
 「交通遺児から、すべての遺児へ」といった思考法と行動力。フィランソロピー(優しい人間愛)に満ちた玉井会長のエネルギーと使命感は、燃えたぎる情熱の炎となって世界各地に広がりをみせながら、人々を明るく照らして行く。【石原 嵩、写真も】

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