桜と歌

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 日本では桜開花の動きに合わせ桜狂想曲が進行中だ。4月初旬にまず東京で満開となったようだが、桜の話題は桜前線が列島を南から北上を続け終点の北海道に到達する見込みの5月初旬までは続きそうだ。桜の追っかけなどという言葉もある。人々が各地で桜に酔い満開の桜に熱中する様を報道で見ていると共感とともに微笑ましく、かつ今年は自分がそこにいないことに一抹の寂しさと羨ましさを感じる。同時に日本人の桜への熱病的こだわりはつくづく独特だなとあらためて思う。
 古来、奈良時代までは梅だった。梅は中国でも象徴的な花だが日本人も梅を愛した。菅原道真の〈東風(こち)吹かば匂い起こせよ梅の花主なしとて春な忘れそ〉のように数々の名歌が残っている。それが平安時代に桜になった。日本人の桜への独自の熱狂と愛着は数々の歌から見ても平安の時代に深化し日本人の情緒DNAにしっかり根を降ろしたと思われる。もち論その後も梅の歌も数々歌われるが、桜は深く日本人の美意識と死生観と一体の存在になったようだ。日本人は桜に生の喜びと共にその向こうに受け入れるべき死をも見たと思う。
 桜にまつわる無数の歌の中から、多くの日本人が愛する名歌を時代順にあらためて味わってみたい。〈世の中にたえて桜のなかりせば春の心はのどけからまし〉在原業平・古今和歌集。春に桜が無ければ自分の心は平穏なのに、桜の美に心乱れいつ散るかいつ散るかと気が気でなく狂おしくなるのである。返歌に〈散ればこそいとど桜はめでたけれ憂き世になにか久しかるべき〉もある。
 有名な西行法師の〈願はくは花の下にて春死なんその望月の如月の頃〉これは辞世の歌ではなかったが後に西行は本当に桜咲く望月(満月)の旧暦2月16日に死去した。当時は大和吉野山の山桜が見所だった。西行に憧れた松尾芭蕉〈さまざまのことおもひ出す桜かな〉一見平淡な句に見えてよむ人は夫々に桜を通して過ぎし己の人生に想いを馳せる時空世界が無限に広がるのだ。さすが芭蕉。終わりに江戸時代後期の本居宣長〈敷島の大和心を人問わば朝日に匂う山桜花〉もう紙面いっぱいになりました。【半田俊夫】

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