サムライの英知

0

 400年前に築かれた日本三大名城の一つ熊本城が、1年前の大規模地震で甚大な被害を被った。天守閣は瓦がはがれ、屋根には雑草が生えた無残な姿を晒している。櫓など13棟が損壊、石垣も崩れ、戦後最大の文化財被害だという。NHKスペシャル「熊本城再建」を興味深く見た。
 4K高精細カメラを搭載したドローンを使って、危なくて人が近づけない所も撮影。3000時間以上かけてデータを解析し、熊本城をデジタル空間に再現した。その立体映像を元に建築家、歴史家、地盤工学のエキスパートたちが被害状況を検証する。
 驚いたことに、明治以降に修復された石垣に被害が目立った一方で、築城当時の石垣は9割が地震に耐えていた。
 熊本城の石垣は高い所ほど急勾配になるように曲線状に反り返っている。初代城主、加藤清正が編み出したとされる敵の侵入を拒む「武者返し」と呼ばれるものだ。実は、この武者返しが地震対策ではなかったかと学者たちは指摘する。その石積みの方法に工夫が見られるというのだ。
 例えば直線勾配の安土城の石垣は、地面と水平に石が積まれていて、地震の横揺れを受けると石が外に飛び出しやすい。一方、武者返しは斜面に対して石が直角に積まれているため、力が分散され、崩壊しにくいと図で説明する。
 清正の下で石垣を築いた職人たちが書き残した「石垣秘伝之書」がある。筆書きの「ノリ」や「尺・寸」での説明文を、現代のx・yの数式に置き換えて読み解いてゆく学者たちの様子が面白い。どうしてこのような計算式が生み出せたのか! と一同が感嘆するのだ。これぞ、サムライの英知だと。
 清正が、千人の死者を出した慶長伏見地震を経験したことも、家臣に宛てた手紙で明らかになる。熊本築城はこの3年後、1599年である。地震対策が石垣積みに生かされたものと推測できる。
 天守閣の南にある飯田丸五階櫓は石垣一本でかろうじて持ちこたえていた。撓(たわ)んだ櫓の下に巨大な鋼鉄製のアームがミリ単位で、時間を掛けて差し込まれていく。取りあえずの応急処置だが、これからの本格的な修復では解明された「サムライの英知」がどのように生かされるのだろうか、ちょっとワクワクする。【中島千絵】

Share.

Leave A Reply