「そうえつ」

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 キーボードに「そうえつ」と打った。出て来ない。「やなぎそうえつ」と打って変換したがやはり出ない。「なんや、知らんのん?」とパソコンにぼやきながら、目をこらして見ると、新聞にはルビが振ってあった。「やなぎむねよし」で、民芸運動の「柳宗悦」がやっと出た。「むねよし」と読むとは、この年になるまで知らなかった。パソコンが賢くて感心させられることが多い。内田百閒もそうだ。「うちだ」で変換すると、あと「ひゃっけん」を出すのに苦労するが、続けて打つと、ちゃんと応えてくれる。
 小学生の頃、「必要」を「しつよう」と覚えていて、親友から「ひつよう」と正されたことをいまだに時々思い出す。そんな覚え間違い、思い込みは誰にも少なからずあるようだ。向田邦子が、荒城の月の「めぐるさかずき…」を「眠る盃」と思い込んでいた逸話のように。
 「みぞうゆう」(未曽有)といって笑われた首相がいたけれど、ああいう間違いは、本から知識を得る人に多いようだ。目で見た活字のまま脳にインプットされてしまうのだろう。日本画家の鏑木清方のことをかなり最近まで、私は鈴木清方と思っていた。なぜか目が鈴木と読んでしまっていて、たまたま耳から「かぶらき」と聞く機会に恵まれなかったらしい。「嘗て」(かつて)を「かって」と言う人も同じような理由かもしれないと思ったりする。
 存続か滅亡かの重大局面を意味する「存亡の機」という慣用句を、8割を超える人が「存亡の危機」と認識していたと、文化庁の国語に関する世論調査が報じていた。「存続の危機」と混同していると言われれば、確かにそのとおりで、「存亡の機」が慣用句としていかに的確な表現かがよく分かる。
 文化庁はまた「言葉は時代とともに変わり、本来と異なる使い方が一般的なケースもあり、それらを全て誤用と断じることは出来ない」とも言っている。随分寛容なことだと思うが、それでいいのだろうか。最近世間を騒がせた「忖度」などは、意味が全く違って広まり、使われていて、まるで悪者だ。それこそ日本語「存亡の危機」にならなければよいのだけれど。【中島千絵】

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