日系農民が築いた礎、魚が飛ぶ庶民市場:シアトル(ワシントン)②

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Wander to Wonder 6

シアトルっ子のソウル(魂)として愛される、パイク・プレイス・マーケット

 テック・シティーへと変貌を続けるシアトルで、これだけは変わらないなあと思うのは、いつも雨を待っているような曇り空と、パイク・プレイス・マーケットだ。
 ダウンタウンの目抜き通りパイク・ストリートを、エリオット湾に向かってくだり、ファースト・アベニューに突き当たったところに、9エーカーの市場が広がっている。開業は1907年で、アメリカで中断することなく営業を続けている公設の市場としては最も歴史が古い。


芸達者な魚屋さん

世界一有名な魚屋さん、パイク・プレイス・フィッシュ

 新鮮な果物や野菜、花、加工食品などの屋台が並んで、迷路のように入り組んでいる。正面入り口にある魚屋「パイク・プレイス・フィッシュ・マーケット」は、名実ともに市場の顔だ。
 「はーい、サーモン一丁!」。氷漬けの台の上に並んだ魚を客が選ぶと、威勢のよい掛け声とともに、店員がカウンター越しに魚を高々と放り投げる。カウンターの後ろで包装や下ごしらえをする店員が、魚を見事にキャッチ。シアトルを紹介する映像には、この店の伝統「魚投げ」パフォーマンスが必ず登場する。おそらく、世界一有名な魚屋さんだ。
 魚が空を飛ぶ豪快で愉快な光景は、シアトルの名物だ。いつ行っても店の前に人だかりができている。一応、「誰かが魚を買ったらやります」という前提らしいが、今か今かと待つ人たちの期待が高まったところで、スーッと店員が出てきて氷の上から魚をつかみ、ヨイショーッとばかりに投げ上げる。受ける方も大声で応じる。その「キャッチボール」が二度、三度繰り返される。

見事に魚をキャッチして拍手に応える、パイク・プレイス・フィッシュの店員。客を楽しませるプロがそろっている

 店員たちは、何万回とやってきたであろう芸を、毎回これが初めてのように楽しくおどけてやって見せてくれる。まるで「ハーレム・グローブ・トロッターズ」のショーみたいだ。大人も子供も目を輝かせて見ている。
 魚がそれて見物客の方に飛んでくることもあれば、キャッチできずに魚を落としてしまうこともある。が、そこはご愛嬌。「へたくそだなあ、練習しろよ!」「もっと給料あげてくれないとやる気が起きないよ!」。アドリブなのか、これも台本のうちなのかは分からないけれど、そんな店員同士の掛け合いが面白い。余裕がある時は、見物客にも魚投げを体験させてくれる。終わった後は、「魚も買っていってね」と、商売っ気も忘れない。
 日本では東京・築地市場のマグロの競り見物が、外国人観光客に大人気だ。私も最近徹夜で並んで参加したが、「静かに」と注意され、制限時間ばかり気にして写真も十分に撮れないまま終わってしまった。市場の種類も見物の対象も違うから仕方がないとはいえ、ちょっと残念だった。
 お客さんを楽しませることが、アメリカならではの「おもてなし」なのだ。パイク・プレイス・フィッシュにインスピレーションを受けて書かれた経営哲学のビジネス本がベストセラーになったと聞いたが、分かる気がした。


壁画が伝える歴史

 「シアトル市民のソウル(魂)」と呼ばれて愛されるパイク・プレイス・マーケット。その礎を築いたのは、日系移民だ。
 20世紀初頭、仲買人の価格操作などに苦しんでいたシアトル周辺の農家が集まって、産物を持ち寄ったのが始まりだ。初回は8軒の農家しか参加しなかった。それに対して、買い物に来た市民は1万人。数分ですべて売り切れたという。需要があると分かった

パイク・プレイス・マーケットの基礎を築いた日系農民の功績をたたえる、切り絵風の壁画

 翌週は75軒の農家が出店し、徐々に市場は拡大した。
 農家の大半は日系移民で、全盛期には3分の2を占めていた。第二次世界大戦中の人種差別で日系人が強制収容所に送られると、マーケットは閉鎖の危機に陥った。戦後は人口の郊外流出も影響して周辺はさびれ、1971年に取り壊し計画が持ち上がったが、これに市民が強く反対して保存が決まった、という経緯がある。
 マーケットの入り口には、初期の日系農民の貢献をたたえる壁画が飾られている。地元のアーティスト、アキ・ソガベさんの作品だ。タコマ富士の愛称があるレーニア山や、それを見ながら畑を耕したであろう日系移民たちの姿が描かれている。

支え合うコミュニティー

 パイク・プレイスがユニークなのは、地元優先に徹していることだ。出店には「地元産物を使っている」「新規1号店であること」「オーナーが最低週1回は顔を出す」といった厳しい条件が設けられている。ここで成功して、チェーン展開するようになった店も少なくない。

ワシントン州は世界有数のチューリップの栽培地。毎朝、パイク・プレイス・マーケットにきれいな切り花が並ぶ

 マーケットの中には、低所得者のためのアパートや保育園、フードバンクなどもある。壁画のすぐそばに設けられたブタの募金箱にたまった小銭が、それらの活動を支えている。昨年は2万ドルも集まったそうだ。
 マーケットで一番人気のドーナツ屋は、夕方になると売れ残ったドーナツを袋に詰めてカウンターに並べる。恵まれない人に、どうぞ持って帰ってください、という気持ちを込めて。
 マーケットの一角を占める花市場は、春夏はとりわけにぎわう。最近は、ここできれいなチューリップの花束を買って、街角でセルフィー(自撮り)を撮るのが流行りだ。この花市場で、栽培から花束作りまでを担うのは、ベトナム戦争後に難民としてシアトル郊外に渡ってきたモン族の人たちだ。
 今はもう、マーケットの中に日系農家の姿はない。しかし彼らが築いた礎は、かけがえのないコミュニティーとしてシアトルに残った。支え合い、土を耕し、新天地で生き延びようとするスピリットは、今もここに息づいている。シアトル③に続く(文・写真=佐藤美玲)

 

 
Pike Place Market
85 Pike Street, Seattle, WA
www.PikePlaceMarket.org
今年で創立110年になるパブリック・マーケット。生鮮食品、工芸品、アクセサリー、ブリュワリー、コーヒーショップなど、ありとあらゆる店が並ぶ。現在40年ぶりに拡張工事が行われており、完成するとエリオット湾のウォーターフロントとつながる。以下、人気の店や見どころを紹介する。
 
 
 

 
Gum Wall
パイク・プレイス・フィッシュと並んでマーケットの名物なのが、「ガム・ウォール」だ。劇場に来た客が、外で待つ間に噛んでいたガムをレンガの壁に張りつけたのが「伝統」の始まりとされている。着色料たっぷりのカラフルなガムばかり。うまく汚く垂らすなど、張りつけ方にも工夫が凝らされて、遠目には美しいモダンアートのようでもある。あまりに量が多くなり、2015年秋にすべて除去された。当時は、ガムとの別れを惜しんでテキサスやアリゾナから車で駆けつけた人さえいた。除去したガムの量は2350パウ

「世界で最も気持ち悪い観光名所」にも選ばれた、ガム・ウォール。遠くから見るとモダンアートのようで美しい?

ンドもあり、3日かかったという。しかしすぐにガムが増えて、今は本当に清掃したのか疑わしいほど。「世界で最も気持ち悪い観光名所」にも何度か選ばれた。現場には、「You are welcome to leave your DNA」と書かれている。
 
 
 
 
 
 
 

 
 

ニューイングランドに負けない?「Pike Place Chowder」のチャウダー


 
Pike Place Chowder
www.PikePlaceChowder.com
マーケットの中でも特に長い行列ができている店。クラムチャウダーといえばニューイングランドだが、その本場のコンペティションに出て3年連続で優勝し、「強すぎるので参加禁止」になったという逸話がある。
 
 
 
 
 
 

思わず手が出る、「Piroshky Piroshky」のピロシキとアップルシナモン

Piroshky Piroshky
www.PiroshkyBakery.com
マーケットでみんなが歩きながら食べているのが、ここのピロシキだ。ピロシキなんて、と侮るなかれ。独特のスパイスとチーズ、グリーンオニオンが混ざってとてもおいしい。皮がついたままのリンゴを焼いたアップルシナモンも人気がある。エストニアからの移民が始めた店。
 
 
 
 

新鮮なフルーツを使った「Ellenos」のヨーグルト


 
 
 
 
Ellenos Real Greek Yogurt

www.ellenos.com
カルト的な人気を集めるグリーク・ヨーグルトの店。隣接する果物屋と提携し、新鮮な旬のフルーツを使ってオリジナルのフレーバーを提供している。
 
 
 
 
 
 
 
Savor Seattle Food Tours
www.SavorSeattleTours.com
マーケットの歴史の説明などを聞きながら、人気の店で試食を楽しみ、効率よく見どころを回るツアー。参加すると、マーケット内の店で割引特典が受けられるパス(10日間有効)がもらえる。ツアーの収益の一部は、低所得者向けのサービスなどに使われる。
 
 
シアトルの観光情報はここで!
www.VisitSeattle.org
 
Special thanks to Visit Seattle, Connect Worldwide Japan, コーディネイター松田京子
 
佐藤美玲(Mirei Sato)
ジャーナリスト。ロサンゼルス在住。東京生まれ。朝日新聞記者を経て、渡米。UCLA大学院アメリカ黒人研究学部卒業・修士号。UC Berkeley博士課程中退。日系雑誌の編集者を務め、フリー転身。旅を通して、歴史と文化、ランドスケープとアイデンティティーを探る。
[email protected]

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