クリスマスツリー

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 12月の初めにはクリスマスツリーを出す。70センチ足らずの卓上型だ。アメリカへ来た年に、根元を土ごと菰(こも)でくるんだような体裁の造木のツリーが4ドル99、ウワッ! 安っ! と嬉しくて買った。底にはその値札が付いたまま。物価の推移が分かるので、差し障りないものには値札を付けたままにしておくのが私の癖。モミの葉の枝には針金が通してあるから、まずツリーの型に枝葉を広げてやる。オーナメントを吊し、豆電球を巻き付けると、部屋が一度に華やかになる。毎年一つずつ買い足したり、友達からプレゼントされたりで、今では満艦飾である。
 子供の頃のクリスマスツリーは、木は本物だったが、どこから切ってきたのだろうか。私の背丈よりは大きかった。電飾などはなく飾りは大方手作りだった。5歳上の兄が手先が器用で、厚紙でとんがり屋根にセロファンの窓ガラスの洋館のミニチュアを作ってくれたりした。あとはどんなものを吊るしていたのだろうか。モールと綿の雪も載っていた。この兄がヤンチャで、私や妹が飴やガムをほしがると、必ず「プリーズ・ギブミー」と言わされたことなども思い出す。終戦後あまり経っていなかった頃である。
 クリスマスツリーは、17世紀にドイツで始まったとか。日本では1904年(明治37)に「明治屋」に初めてディスプレー展示され、20年代にはクリスマス雑貨が輸入されるようになり、家庭でも飾れるようになったそうだ。年のせいかそんな昔のことを思うことが多くなった。
 兄妹の中でなぜか私一人が教会の日曜学校に通っていた。シスターから英語を教えてもらったり、「右の頬を打たれれば、左の頬を出しなさい」はこの頃に覚えた。ずっとこの手は平手だと思っていたが、ネットが言うには、右利きの人が手のひらで打とうとしたら相手の左頬に当るという。なるほど! あれっ? では…手の甲(げんこつ)で殴ったというのだ。当時は奴隷を主人が拳で殴り、服従させていた。それへ左の頬を出せば、主人に手のひらで殴らざるを得ない屈辱を与え、平等な関係になれるという聖書の教えだと知った。こうして新しい情報は得られるが、子供の頃のナゾを知るすべは、もうない。【中島千絵】

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