帰米2世の山城正雄さん死去、102歳

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40年以上にわたって羅府新報に連載

 羅府新報の日本語版に1970年2月から40年以上にわたって随筆「仔豚買いに」を執筆してきた帰米2世の山城正雄さんが9月19日、死去した。102歳だった。葬儀は5日に家族葬にて執り行われた。

 山城さんは16年1月12日にハワイ州カウアイの農園で生まれた。幼い頃に両親が病死。その後、山城さんと兄弟たちは沖縄に住む伯父のもとに送られた。そこで川端康成や谷崎潤一郎といった日本の小説家の文学に出会い、読書に目覚めたという。
 16歳の時にハワイに戻り、36年にはロサンゼルスへ渡り、山城さんと同じように帰米の学生が多かったポリテクニック高校に進学。その後ロサンゼルス・シティー・カレッジに進学し英文学を専攻。大学在学中の1941年12月7日に第二次世界大戦が始まった。
 戦争勃発後、山城さんはサンタ・アニタ仮収容所に送られ、その後コロラド州にあるアマチ収容所に収容された。
 当時の米政府が43年初頭に行った日系人への「忠誠登録」で、山城さんは質問27の「アメリカ軍に志願する意思があるか」には「いいえ(No)」、質問28の「アメリカに忠誠を誓い、天皇への忠誠を破棄するか」には「はい(Yes)」と答えた。当時、「No」と答えた人は不忠誠とみなされ、カリフォルニア州北部にあるツールレイク収容所に送られた。山城さんもその中のひとりだった。
 戦時中、山城さんは収容所の文学愛好家とともに日本語の詩や短編小説、随筆などを紹介する日本語雑誌「鉄柵」の作成に携わった。第1巻は800部発行され、収容所内で25セントで売られた。
 2014年の羅府新報クリスマス特別号でマーサ・ナカガワからインタビューを受けた山城さんは当時をこう振り返っている。「FBIは私に『鉄柵』の意味を聞いてきました。そして私はこう答えたのです。『あの鉄の柵を見てください。あなたたちは私たちをこの鉄の柵の中に閉じ込めているのですよ』と」
 戦後、山城さんは庭師となり、時間があれば執筆活動に励んだ。1963年には日本からきた画家の静江さんと結婚。
 山城さんの随筆「仔豚買いに」には日系人の生活や帰米2世からみた日系史などが描かれ、後に連載をまとめた「遠い対岸―ある帰米二世の回想」も出版した。

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