遺したもの

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 飯沼信子さんとお会いしたのは、ワシントンDCに桜の木を贈った高峰譲吉の生涯を映画化した『TAKAMINEアメリカに桜を咲かせた男』のLA上映の打ち合わせのために、ご自宅に伺った時でした。というのも飯沼さんには『高峰譲吉とその妻』という著書があり、上映時に高峰譲吉の事を話して頂こうという計画になったからでした。飯沼さんは、桜を贈った時の苦労やアメリカ人だった譲吉の妻との関係などを、懇切丁寧に教えてくれたのでした。饒舌な飯沼さんのかたわらで、ご主人は寡黙に見守るように佇んでいらっしゃったのが印象的でした。そして帰り際に、「私の本を読んだ事ないでしょ?」という問いかけに対する私の返答も待たずに、数冊のご自身の著書を私に持たせました。その本の中に野口英世のことが書かれてある文章がありました。
 -「私は野口とメリーが最も愛したニューヨーク州シャンデーケンの山荘を訪ねた。…山荘への道順を知るために登記所を訪れた私は、思いがけずそこで野口英世の遺書を発見した。WILL(遺書)という文字を見た時、私の胸は震えた。…手を合わせたい気持ちだった」(文藝春秋『野口英世の遺書発見』より)。そしてその遺書の内容というのが、「最愛の妻に全財産を与える」と記載のあったことに触れ、今から100年も前の時代に、遺書に「最愛の妻」と書ける日本人がいたのかという驚きと、純粋な気持ちが書き綴ってありました。
 上映当日、客席から舞台に上がる時に、階段で転ばないようにという思いから飯沼さんに手を差し伸べたのですが、今でもその時の手の握りの強さが忘れられません。何かに支えられていないと心細いからなのか、その細い手からは想像ができないような力強さに、こちらも転ばされないようにしっかりと握り返したのでした。
 その飯沼さんが日本で急逝されたとの訃報を受けました。その著作活動を通じて、確かに日米の懸け橋をされていたのだという事にあらためて気がつきました。そして家庭では、「最愛の妻」でありたかったのではないかと思いました。飯沼さんの偉業を称えたいと思います。【朝倉巨瑞】

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