ふとしたことから異国の文化に魅了され、その国の文化を生涯愛し続ける人々がいる。ロサンゼルスにも日本文化を愛し、その良さを紹介し、日米の友好親善に貢献する米国人の姿がある。
 きっかけはさまざまだ。日本食だったり、サムライフィルムだったり、観光で訪れた時の親切な人との出会いだったり。筆者が学生だったころ、まんがに夢中になり日本文化にどっぷりのめり混んでしまった米国人学生たちをよく見た。彼らは小さい時からアニメ映画などを見ており、日本に一度も行ったことがないのに流暢な日本語を話し、私たち日本人留学生を驚かせた。なかには難しい漢字すら書ける子もいて、好きこそ物の上手なれとはまさにこのことだと痛感した。
 そんな彼らからよく尋ねられたのが、「漢字を使って私(僕)の名前を書いて」と頼まれること。つまりあて字なのだが、ポジティブな意味を持つ漢字を選んで英語の名前にあてはめていくなかなか楽しい作業だった。
 「鬼怒鳴門(キーン・ドナルド)」。彼もまた漢字の名を持っていた。先日96歳で亡くなったコロンビア大学名誉教授で日本文学研究者のドナルド・キーンさんは日本の文化、文学、伝統芸能を世界に紹介した人物として知られる。彼にとって一冊の本との出合いがその後の人生を大きく変えるきっかけとなった。その出合いとは源氏物語だった。日本文学に魅了されたキーンさんは三島由紀夫などの日本の文学作品を翻訳し海外に広めた。
 日本語も流暢で日本を代表する文豪とも交友があったという。日本の文化や文学の世界観を理解するのは海外の人にとっては非常に難しい作業である。そんな中、海外に日本文学を紹介した功績ははかりしれない。
 生前のキーンさんがとった行動の中で印象的な出来事がある。それは東日本大震災の後、多くの外国人が日本を去る中、日本に帰化し日本人となったのだ。「苦難の時こそ日本人と共に」。永住を決めた理由はこれだった。
 彼の発言で心に残る言葉がある。「日本のことを考えない日はなかった」。日本のことをこれほどまでに愛してくれた彼のことを私たちも決して忘れてはならないと思う。【吉田純子】

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