病気と孤独

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 読書やセミナーから得た共通の情報では、高齢者の課題は、病気と孤独だそうだ。私自身も、目と歯がダメになり、なんとなく鬱(うつ)になる孤独感を体験し始めた。明るく元気で、一生前進すると計画していたのに、驚きの展開に面食らっている。
 長年の使用で、くたびれ始めた体は、各々の個体特有の弱い箇所に、病気が発症する。年寄りが集まると病気の話ばかりだと批判し、今は批判される側になったが、それは共通の初体験に、興味津々だからだ。体が壊れるプロセスは、ある意味興味深い。そして、部品の大半が壊れた時に命が終わる。一つの命が終わり、新しい命が芽生え、世界は続いてゆく。そのサイクルを理解したいのだ。
 テロや集団殺人が日常的に起こる残念な時を現代社会は今、通過している。「なぜ人を殺してはいけないのか?」という問に、解剖学者の養老孟司氏は答えていた。「命はいったんなくすと、もとには戻せないから」と。人間の体はどんなコンピューターよりも遥かに複雑にできていて、命は元にもどせないと。他者からの暴力で生きたい命をもぎ取られた犠牲者たちの無念を思う時、部品が壊れるまで生きて来られた幸運を思う。友人知人が一人二人と欠け始めると、自分の世界が小さくなり、孤独を感じるのは当然だが、それだけ、長生き出来たという幸運でもある。
 スペインの哲学者オルテガは、真の民主主義とは、死者と共に生きることであると説いた。私の今は、多くの死者が築いてくれたものの上にあり、死者は、今も、すぐ隣に生きていると考えれば、生者は孤独ではない、という。
 「一日、誰とも話さない日がある」と言われる高齢者がいる。長生きした者は、「共に一人」に耐えうる気力がいる。地域の複数の共同体に属し、意見の異なる人にも耳を傾け、自分自身も変わり続け、すぐ隣に生きている死者と共に、現代社会の一員であり続けたい。【萩野千鶴子】

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