京都の舞妓、芸妓が来米:日本舞踊を実演、花街の世界紹介

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お座敷遊び「とらとら」を体験した来場者(中央)

 京都で活動する現役の舞妓と芸妓が来米し5日、サンタモニカ・カレッジのシアター・アーツ・ビルディングで講演会が行われた。京都の花街の歴史や舞妓、芸妓の日常などが紹介されたほか、日本舞踊の実演も行われ、普段はなかなかのぞくことができない花街の世界を垣間見る機会となった。【吉田純子、写真も】

京舞井上流の振り付けで「祇園小唄」を舞う小なみさん

 来米したのは祇園甲部の舞妓・小なみさん、宮川町の舞妓・叶子(かなこ)さん、宮川町の芸妓・美恵雛(みえひな)さんの3人。
 新潟出身の小なみさんは「もともと日本の歴史と京都が好きで舞妓さんになろうと決めた」という。大阪出身の叶子さんは「この格好を見て『きれいだな』と思い憧れて入った」と話す。
 京都出身の美恵雛さんは「将来大人になった時に職人など専門的な分野で活躍できる人になりたかった。家族がお茶屋さんと親しく、小さい頃から日本舞踊もやっており、この世界に入った」と語る。
 講演会では芸者や花街の研究を行なっているピーター・マッキントッシュ氏が芸者の起源や花街の歴史、舞妓と芸妓の違いから日々の暮らしに到るまで説明した。
 京都には上七軒、祇園甲部、祇園東、先斗町、宮川町の5つの花街がある。
 舞妓と芸妓の歴史は江戸時代までさかのぼる。京都の八坂神社の参拝客に茶を振舞う水茶屋で働く女性が歌や舞を披露するようになったのが起源とされる。


若柳流の振り付けで舞う宮川町の叶子さん

 芸妓は京都独自の表現で、京都以外の地域では「芸者」と呼ばれる。宴席で三味線を演奏したり舞を披露し、客を楽しませる。
 舞妓は芸妓になるための修行期間で、多くの場合が中学校を卒業した後に置屋に入門し、親元から離れ住み込みで修行を積む。出身地が京都でなくても京言葉を教育され、礼儀作法から日本舞踊、茶道、三味線などを学び、座敷に出られるようになると晴れて舞妓となる。所属する置屋が、舞や三味線の稽古から着物に至るまで、生活にかかる費用の面倒をみる。
 芸妓がかつらを着用するのに対し、舞妓は地毛で髪を結う。1週間髪を洗うことができず、結い上げた髪が崩れないよう、寝るときは高枕を使用するのだという。
 舞妓と芸妓はそのほかにも違いがあり、舞妓の帯は後ろに長く伸びた結び方の「だらりの帯」。帯の下には置屋の家紋が織り込まれている。着物やかんざしは季節を意識し、柔らかく可愛らしい印象を与える色合いの着物が多いのだそうだ。足元は「おこぼ」と呼ばれる厚底の履物だ。

三味線演奏とともにお座敷唄を披露した芸妓の美恵雛さん

 一方芸妓は黒色や地味な色合いの着物を着ることが多く、帯はお太鼓。足元は下駄。舞妓も芸妓も座敷で舞を披露し、客をもてなす。お座敷遊びをして客を楽しませることもあるが、近年では客と一緒にカラオケやボーリングをすることもあり、携帯電話やパソコンも使いこなすという。
 しかし舞妓、芸妓は結婚は許されず、結婚をするのなら廃業するのがしきたりとなっている。
 講演会の後は、芸妓の美恵雛さんの三味線演奏とともに、舞妓の小なみさんと叶子さんが京都の四季を唄った名曲「祇園小唄」に合わせて日本舞踊を披露。祇園甲部の小なみさんは京舞井上流、宮川町の叶子さんは若柳流の振り付けでそれぞれ踊り、会場の人々は優雅な舞を鑑賞した。
 お座敷遊びの実演も行われ、会場の人の中から数人が舞妓2人の指導のもと、見よう見まねでお座敷遊び「とらとら」を体験し、普段はなかなか知ることができない舞妓、芸妓の世界感を満喫した。

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