表には裏が

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 今年も師走、令和元年もそろそろ終わる。元号が万葉集からとられたというので、今年は万葉集が身近になった。ただの文学作品ではなく、当時の社会、政治状況がいろいろに絡んだ中で作られた歌が収められているという裏の解釈があることも分かった。
 令和の典拠となる梅花の歌三十二首序文は、天平二年正月十三日に、と始まっておめでたい言葉が並んでいる。この宴は、大宰帥大伴旅人の官邸を会場に、官人・国司等32名が集って盛大に催された。庭の梅を題材にして歌を作ろうという、何とも楽しい風流な様子が想像できる。文学作品としては、単純に「初春の令月にして、・・風和ぐ。」の穏やかでめでたい祝言歌にとらえられる。
 この時の梅は大陸渡来の白梅で、一般の国民になじみのない貴族的な文雅の花だったという。今でこそ、日本の春の花の代表格で白梅紅梅ともに歌や絵の題材になっている。めでたさを表す松竹梅の梅は、日本(大和)古来の樹木でなくても、気候風土、日本人の心に合って進化してきたものと思う。
 万葉の時代というと、なにかほのぼのとした感じを持つが、学者は当時の社会状況や歌を詠んだ人の置かれた立場を推し量って、解釈をしている。気の遠くなるような作業から導き出したに違いない。教科書で習ったときは、そんな解釈など知らされず、牧歌的なイメージしか残っていない。千数百年前に記録された文献から推理することで解釈された事柄が後に支持を得、また否定されることもある。梅が大陸渡来というのも、その前に全くなかった記述が、この時代から梅が出てきたから外から入ったものだろう、天皇や豪族の力関係も同様に。
 古典には興味があったが、ここまで面白いとは知らなかったというのが本音。そして、人の気持ちもまた千年の時の流れを経ても、足の引っ張り合いや権力を笠に着た理不尽な仕打ち、立場が上の人と縁戚関係を持つなど、変わらないのだと急に身近になった。
 裏と表、本音と建て前はずっと昔から続いていると納得すれば見えてくるものがある。器用に使い分けると世渡りがうまくなるかもしれないが、今更変えられようか。【大石克子】

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