世界に挑んだミスター・トーフ

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 随分と昔のことですが、当時ガーディナにあった非営利団体の事務所を訪ねた折に、その時の代表が編集したと言って私に手渡したのが、「豆腐バカ 世界に挑む」という本でした。1980年代、豆腐の新たな販路を求めて米国現地法人の責任者を命じられた筆者が、米国人が嫌いな食べ物だった豆腐を米国に広めるために悪戦苦闘した実話でした。常識を打ち破る行動力がなんとも痛快で、ビジネス書としても人生の教科書としても読め、そんな逸材がこの地に共に住んでいるのだと気持ちが高ぶりました。その著者が、ミスター・トーフと呼ばれた雲田康夫さんでした。
 この頃の非営利団体の運営のサポートをしてくれたのが雲田さんであり、その団体の代表を引き継いだのが、この私でした。雲田さんの講演会があった日、ホテルのパーキングにあった「TOFU A」のナンバープレートを見つけた時はうれしかったことを思い出します。エアポートのラウンジで偶然会った時の雲田さんは、すでに豆腐の事業からは引退していましたが、「日本の若い人に伝えることがたくさんある」と、生き生きと語りました。会うたびに私に言ったのは、「どこにでも行くから、今のうちにどんどん私を使ってくれ」というありがたい言葉でした。
 最後に雲田さんに会ったのは、「日系移民のパイオニアに感謝するイベントをするので、協力してほしい」という相談を受けた時でした。私が運営する非営利団体は規模が小さく、当初は協力は厳しいという判断をしていたのですが、「何とかお願いしますョ!」と言う雲田さんの穏やかなほほ笑みと、自分の事よりコミュニティーを大事にしようとする覚悟に、「分かりました何とかします」と答えてしまったことを覚えています。
 その雲田さんが、すい臓がんで永眠されたとの連絡を受けました。ミスター・トーフ、平成のラスト・サムライに、私は感謝を伝えることができませんでした。考えてみれば自分自身の病気を以前から知っており、私たちに「考えていないで。すぐに行動をしようよ!」と伝えたかったのかもしれません。【朝倉巨瑞】

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