常識にて考える

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 以前、日本で生活していた時、何かしらミスを犯すたびに、先生や親から「常識で考えなさい」と指導された。若かった当時はあまり深く考えず、「ごもっともです」と素直に受け入れて反省したものだ。
 アメリカに来てから、やがては、自我の芽生えと同時に、良くも悪くも多様な個人価値がまかり通ってしまう社会に遭遇してきた。英語では「コモンセンス」と言う「常識」は、アメリカでは一体何であろうと時折考えた。そして今、このコロナウイルス・パンデミックの状況下で、再考することを余儀なくされた。
 まずは、世界中の犠牲者の方たちに、心よりお悔やみを申し上げたい。人類皆で協力し合いこの困難を乗り越えていけることを強く願う。
 データから分析すると、アメリカやヨーロッパと比べ、日本での感染者数や死亡者は圧倒的に低い。人口密度の高いだろう大都市のNYと比べても、東京や大阪の都市部の感染数は低い。これから一気に増えてしまう恐れや、テスト実施数がまだまだ少ない結果なのかもしれない。
 しかし、マスクをする良識や社会通念がある程度、いや大いに防止対策に貢献しているのではないのか、と思えてならない。室内に上がる時は靴を脱ぎ、握手やキスでのあいさつをしない習慣も要因ではと。
 今後ニューノーマル(もしくはニューアブノーマル)に向けて、社会の在り方、そして人々の行動の変容を真剣に再検証が必要だ。以前、T大統領がコメントしたように、握手は撤廃した方が従来のインフルの感染率も死者数も防げるのではないか? と。
 一層のこと、あくまでもアイデアだが、アメリカを含め世界で日本式の接触無しのお辞儀を取り入れたらいいのかもしれない。ソーシャルディスタンス(社会的距離)で6フィート(約2メートル)の間隔を開ける。お辞儀をする際に頭を下げると顔同士が近づくので、立ち位置は10フィート(約3メートル)間隔を確かめて始める。冗談ではなく、本気で今こそ意識の変化を求めるのだ。
 科学的証明に基づき、平和で安全な社会の復興へ貢献できる理にかなった「常識」を心掛けていきたい。【長土居政史】

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