怒りと失望の間から

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 「BLACK LIVES MATTER」を初めて耳にした時、「黒人の命は大切」と訳してみたが、「誰の命も平等に大切だよ」と突っ込む自分がいて、どこか公平性に欠けるようで、すんなりと受け入れられない気持ちがあった。
 ある日、専門家が「どの命も大事だが、ないがしろにされがちな黒人の命も大切ということだ」と解説するのを聞き、「なるほどそういうことか」と納得した。その後、日本の配信ニュースが「黒人の命も大切」と記していたので、やはりそうきたか、このほうが日本人には共感を得やすいにちがいない、と思った。
 だが…、本当にそれでいいのだろうか。
 少し耳を傾ければ、人種差別は社会構造の問題だと分かる。青少年が「いつか警官に殺されるかもしれない」と恐れながら成長するのは普通だろうか。無抵抗の黒人を殺して起訴された元警官が「自分の身の危険を感じた」と釈明すれば無罪になるのは普通だろうか。それは、絶対におかしい。不条理に子を殺されて嘆く黒人の母親の姿を見るのはつらい。
 これが肺がん撲滅の運動だったら、「タバコを吸っていたから自業自得」と言うだろうか。「乳がんも深刻だ」と意見するだろうか。素直に応援できない気持ちがあるとしたら、それが人種差別意識や特権意識(例えばそれは民度が高いなどという高慢な発言)ではないだろうか。自分の心の奥底をのぞくのは、実は怖いけれど、私の心にもそんな雑草の種がきっとみつかる。いつ、誰に蒔かれたかは知らない。ただ干からびたその種に、水をやらぬようにしているだけだ。
 一部の暴徒が起こした略奪には失望を感じたが、これを社会の歪みと甘んじず、怒りと失望の間からさらに多くの人々が平和的抗議に参加している。パンデミックで命のはかなさを痛感した人々が、安心して暮らせる社会を求め、黒人の運動を共に闘う事で、社会を変えたいと声を上げていることに共感する。
 だからやっぱり、「黒人の命も」とは言わず、社会の闇をにらみつけて「黒人の命は大切」と言いたい。ちょっと腰が痛くて若者と歩くのはつらいので、今日のところはペンの力を借りて。【長井智子】

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