「ひと握りあるやなしやの髪洗う」

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 タイトルの句は、今から30年ほども前に、当時95歳だった一世の佐藤とくさんが詠んだものである。
 夏になると時々この句を思い出して呟いてみる。
 当時は私も40代、1週間を10日分ほどのスケジュールで、土曜も日曜も無く仕事をしていた頃で、毎月1回地元の日系紙に送られてくる俳句グループの作品の中にこの爽やかな句を見つけて、印象に残ったのだが、最近自分が髪を洗いながら「ひと握りあるやなしやの…」を思い出し、なるほどこの気持ちかと、95歳のとくさん心の中をのぞいた気がした。
 白髪の増えた髪は濡れるとさらにかさが無くなり、まさに「ひと握り」になってしまう。若かった頃は髪が多すぎて、美容院に行くたびにそいでもらわないとまとめるのが大変だった。
 セットをしてもらってドライヤーに入ってもなかなか乾かなかったものだが、いつの間にか髪の量が減り気が付くと「ひと握り」になっている。
 とくさんも若い頃は豊かな黒髪が自慢だったのかもしれない。ふと気が付くと過ぎ去った時間と共に、豊かな髪もまた過去になっている。
 黒髪は女の命などと気取ってみるつもりはさらさらないが、歳月は無情なものである。
 しかしとくさんのこの句からは老いの悲しみやむなしさではなく、時の流れの中で、あるがままの自分を諾(うべな)う潔さが感じられる。
 短い髪をきちんとまとめて、仏教会のバザーを一生懸命手伝っていた小柄なとくさんの柔らかな笑顔が思い出される。
 メーキャップ結構、シワ取りも結構、隆鼻術も結構、誰にでも美しくなる権利もあればチャンスもあるのだが、歳をとってやたら時の流れに逆らうより、あるがままがよろしい。
 私が一度も髪を染めなかったのは、そんな悟りからではなく、4週間に一度小まめに手入れをして三毛猫にならないようにする心掛けが無かったから、つまり無精だったからである。
 今年のシカゴは、過去148年で3番目の暑さだという。単細胞の私は、こんなことを言われるとさらに暑さを感じるが「ひと握り」の髪はまめに洗髪ができてありがたい。【川口加代子】

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