ユーモアで国民を導いたレーガン

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 レーガン大統領時代、夕方によく5〜6機の大型ヘリコプターが西北西に向かって飛んで行った。彼はサンタ・バーバラの近郊に農園を所有し別荘としていた。レーガンは俳優出身の大統領だったが、臨機応変のユーモアを交えた会話や演説で国民の心をつかんだ。「強いアメリカの復活」をモットーに、それまでの知財政策を転換し、知財強化政策へと転換を図り、見事に成功させた大統領だった。
 当時は日本の産業界が飛躍的な発展を遂げ、日米貿易摩擦が激しい時期だった。レーガン大統領は自らアイディアを出して導くより、大きな方向性を打ち出すと積極的に有能な人材を登用し活用する大統領だった。政府は「産業競争力委員会」を立ち上げ委員長に若手のヒューレット・パッカード社長・ジョン・ヤングを起用。委員会はヤング・レポートで、技術競争力と知財強化政策をメインとする提言を行なった。これにより、特許連邦高裁の設立、特許関連通商政策強化、特許法改正など数々の知財強化政策が実施された。
 彼はある日ワシントンDCで演説し、退出する際銃撃を受けた。一発の銃弾が左胸に当たったが、心臓を外れ肺の奥に止った。意識ははっきりしていた大統領は病院で執刀医達に「諸君がみな共和党員だといいんだがねぇ」と冗談を。執刀外科医は民主党員だったが、「大統領、今日一日われわれはみな共和党員です」と答え、レーガンを喜ばせたという。また駆けつけた妻に「ハニー、僕は避けるのを忘れていたよ(Honey, I forgot to duck)」と冗談を言った。これは1926年のボクシング・ヘビー級選手権でジャック・デンプシーの敗戦のコメントを引用したものだという。
 ヨーロッパではユーモアは政治家の大切な素養とされるが、このように「危機の際にもユーモアを忘れない」指導者のあるべき姿を体現したレーガンは国民の圧倒的な支持を受けその政策を実りあるものに導いたのである。
 11月の大統領選が近づいた。どちらが選ばれようと大統領は、ユーモアも駆使して国民を融合し一つの方向に導かねばならない。そんな大統領を国民は待ち望んでいる。【若尾龍彦】

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