悔いる日々

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 遅い夏の到来で、うだる暑さが続く。汗が流れ落ちるから鉢巻きしながらの日々。奮闘ならいいが、悔いの日々を過ごしている。
 本を読んでは、若いころの読解力のなさに落胆し、あの頃もっと理解していたら、あの人に詳しく話が聞けたのに、今はすでに鬼籍の人。こんなことにもっと興味を持っていたら、聞ける機会があったのにと、じだんだを踏むこと多々あり。本文に登場する人物と接触する機会があったり、その人物の知り合いを知っていたりと、もっと掘り下げられたはずなのに、無為に過ごしてきたことが悔やまれる。あったチャンスを生かしきれなかった。何とも惜しまれる。本当に、知らないということはどうしようもないことだとつくづく思う。
 目の前に新発見があって、そのことを突き詰めると昔の至らなかった自分にいきつく。若いときは、生きた年数が短いし、経験も知識も限られた中での判断だから仕方がないのかもしれない。そうじゃない人もいるので、万人が、ではない。師や先輩に恵まれていたと思っている自分は、他の人よりは出会いや学びの機会があったと思っている。未熟さゆえに言われたことを理解できずに逃していたことがあったと思うと悔やんでも悔やみきれない。
 今、若い人と話をしていて、彼らは、はやりやゲーム、インターネットからのニュースなどは知っているが、そこに至った歴史や社会事情には通じていないと感じる。関わった人や出来事を話してみると、知らないという答えが返ることが多い。皆同じことを繰り返しているのかもしれないと思えなくもない。生きている年数は、歴史の何千、何万分の一、その中で知り得ることといったら限りがある。だから仕方のないこと、と割り切っていいのか。限りある時間の中で、与えられた機会を活用できなかった。理解しようとする努力が足りなかったことに気付くのに何十年も費やしたことが悔やまれる。
 フーテンの寅さんも常に反省しながら、同じことを繰り返していた。いっとき反省して悔やむ、しかし改められない。この繰り返しが歴史かもしれない。気付くから悔やむ? と思うことにしないと落ち込むだけか。【大石克子】

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