脱ヒーロー宣言

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 今年の8月は駆け足でやって来た。1週間が1日に、1日が1時間に感じる、と言っては大げさか。卒業式も入学式も置き去りにされた春が、今となっては遠い昔のことのよう。毎年、お盆が近づくと、原爆投下、終戦記念の文字が新聞紙面を飾る。それは永遠に消えない傷跡であり、平和な未来を作る礎となる。
 戦争を知らない子供にとって、8月は心躍る夏休みという一大イベントの月だ。ある年のこと、僕は叔父さんに映画館という未知の空間に連れ行ってもらった。そこで、初体験したのが外国映画「ドラゴンへの道」だ。真っ暗な劇場の銀幕に現れた強靭(きょうじん)な肉体を持つ東洋人は、電光石火のごとく、幼い僕に強烈なパンチを与える。平凡極まりなかった僕だが、あたかも自分が強くなった気分になり、一筋の希望の光を見出した。
 主人公は永遠のカンフー映画スター、ブルース・リー。弱者を助け悪者をたたきのめす勇姿は最高に格好良く、信念を持つ大切さを学んだ。信念を持つ人間は打たれ強い。大人への過程で経験した苦労や困難も成長の栄養剤となって、何ごとにも弱音を吐かない強い人格を作る手助けをしてくれた。
 しかし、最近になって彼の鉄拳像が崩れ始めた。それは、彼の格闘映像を見ている時に発せられた妻の声だ。「痛い! ブルース・リーは痛すぎる」。悪事を働いた者が制裁を受けることは、社会において当然のことだが、とは言え、殴られる方は、どう考えても痛い。その痛みについて、それまで全く考えたことがなかった。華麗なアクションと圧倒的な強さだけに心を奪われていたのだ。
 映画を現実の世界に置き換えてみれば、鉄拳が、人種差別、銃、そして、核兵器にもなりうる。痛みだけを考えれば、ことごとくたたきのめされる悪者たちは、その瞬間、被害者、弱者となる。痛みは憎しみを生み、怒りを培養する。これまでさんぜんと輝き続けた正義のヒーロー。ひょっとして、それはわれわれが生み出し続けている非常に危険な偶像ではないのだろうか。広島、長崎の原爆投下から、そして終戦から75年を迎えた終戦記念日に、強者も弱者も必要としない脱ヒーロー宣言を心に誓う。【河野 洋】

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