二月の想起

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 アメリカ中東部を襲った大寒波で、停電、飲料水不足や暖を取れない生活を強いられている人たちがいる。今年ほどではなかったであろうが、79年前の今の時期、真珠湾攻撃の後、日本人の血を引くものは西海岸から立ち退くよう言い渡されて、自由立ち退きでインペリアルバレーからコロラド州の牧場に向けて旅立った家族のこと。ニューメキシコ州のアルバカーキでFBIに止められた家族は、これまで何度も嫌な思いをさせられてきた経験からまたか、と思ったら、ガソリンは十分に入れられているか、泊まるところは?、ラジエーターの水は抜いておかないと明日走れないよ、などの気遣いとアドバイスを受け、やっと温かいコーヒーと泊まるところにありつけてほっとしたという話を聞いたことがあった。州境越えは妨害があって大変だったと聞く。気温の低さだけでなく気持ちまでが寒かったことだろう。
 この家族が住んでいた牧場を20年前に訪ねたことがある。60年経つというのに、当時描かれたスケッチに残された風景がそのまま残っていたのには驚いた。竜巻対応の石作りの家、牧場内のダム、その地の開拓者であるドイツ人の牧場主が住む家、後ろのウインドミルもそのままだった。彼らは過酷な自然を相手に水の確保に発電にと、さまざまな工夫と挑戦をしながら清貧の生活を送った。収容所に住む弟からの手紙を読んで、何と恵まれた生活!とうらやましくさえ思ったと彼らは言っていた。今のこの寒波に彼らならどう対処しただろうか。
 今の豊富な物資、便利な生活はいつまでも続くとは限らない。この飽食が飢餓を招くという報告がある。人間のための穀物が、おいしい肉を求める人間のための家畜の餌になるからだという。コロナ禍で仕事がない、食べ物に困るといった中での食物廃棄。持ち帰り容器の増加に伴うプラスチックごみの増加。この先の憂いは尽きない。ただ、以前は当たり前に思っていた太陽が有り難く感じられる。
 ルーズベルト大統領が行政命令第九〇六六号に署名した1942年2月19日から79年が経った。バイデン大統領が日系人に対して正式に謝罪した。【大石克子】

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