正解なき問い

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 父が本好きだったせいか、家にあった本をひたすら読んでいた時期がありました。決して自分が好きな本を読んでいたわけではなく、それは父が好んだジャンルの本でしたので、戦記や歴史物など小難しい文章でしたが、少なくとも文系に染まっていきました。特に予備校でカリスマのような現代国語の教師に出会ったこともあってか、国語以外には興味を示せず、大学では日本文学を専攻し、国語教師の免許まで取得することになりました。そして好きなことだけを学んだしっぺ返しは、どこにも就職先がないという試練でした。
 しかしながら国語を学ぶという、作者の意図をくみとり「正解なき問い」からでも、さまざまな答えを導こうとする本質に興味を持ったのかもしれません。学問も社会も、共通の正解値を出せない事象を考え続けることで解決策を探ります。そしてこれは、これからの世代に求められるスキルです。
 かつて総理大臣だった宮澤喜一氏は、なぜ国際会議で日本は発言ができないのかという問題に対して、「欧米の教育では、『正解なき問題』に取り組ませる。正解がないわけだから、生徒は自分の頭で考えて答える。それぞれが違う考えを述べるから、そこからディスカッションになる。いかに生徒の想像力をかき立てるか。いかにディスカッションの能力を鍛えるか。教育そのものが違う」と答えたそうです。決して英語力の問題ではなく、はっきりと日本教育の弱点を認識していました。日本では「正解のある問題」の答えを覚えることに多くの時間を使っています。覚えるコツを学校で教えているだけでは、国力の差は開いてくるだろうということは容易に理解できます。
 正解が一つしかない問いはAIが解決できる事で、AIができないことが将来は人間の仕事になります。私たちは社会に飛び込むほどに、「正解なき問い」を投げかけられるのです。例えば正義は、さまざまな国や文化、生活環境や時代背景や倫理観によってその解釈は変わるものです。社会が整頓され成熟していく時こそ、「正解なき問い」からイメージし、解決をしていく方法を学ぶべきかもしれません。【朝倉巨瑞】

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