不要なもの

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 北国ではまだ花も咲かない3月14日、はや恒例の夏時間に変更。秋に1時間もうけたような気がしたことはすっかり忘れ、睡眠時間を1時間削られて文句を言い、会議の時間に遅れてあたふたする。
 戦後日本でも、米軍の進駐で夏時間への変更を余儀なくされ、大人でさえわけも分からないまま「サンマー・タイム」などと言って時計を進めていたことをふと思いだした。
 この「夏時間」だが、デイライト・セービングなどと言っても、一体どれほどのセービングになるのだろう。去年もそうしたから、10年前も20年前もそうしたから…逆らわずそれを続けているのだが、一向にありがたみもなければ、幼い子供のいる家庭では、子供たちの就寝や起床、食事の時間など、母親にとってたとえ1時間といえども調節は大変らしい。
 コンピューターや携帯電話は自動的に時間を変更してくれてありがたいが、家中の掛け時計、置時計から電子レンジ、調理器具で時計のついているものは全て時間を合わせねばならない。
 これってもう必要ないんじゃないでしょうかね。実際お隣のインディアナ州では夏時間、冬時間の変更はない。無いから困るという声も聞かない。
 もう一つ不要なものがある。あちらこちらで選挙法改正案で、政治家がけんけんごうごうだが代表選挙人制度こそ不要だという気がする。
 コンピューターやテレビなどというありがたいものが無かった昔、一般の識字率も低く、立候補者さえ分かからない有権者が多かった時代に投票の集計方法として、有識者を代表とした制度だそうだが、どんなに頑張っても一般投票は無視されてしまう。今やハイテクのお陰で、立候補者もその主張も自分の手のひらを見るように明らかで、かつ正確に集計できる。あなたの1票も私の1票も間違いなく数えてもらえるのだ。「選挙違反のもとになる」などという反論は納得できない。不正な選挙違反をするのは機械ではなく人間だから。
 不要なものと言えば、わが家の地下室にも何やら不要なものがゴロゴロしているようだが、これは議論の余地なし。私が自分で処分すれば良いことで…。【川口加代子】

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