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 アカデミー賞公認のアジア最大級国際短編映画祭である「ショートショート・フィルムフェスティバル&アジア(SSFF&ASIA)」(別所哲也代表)と日本文化を発信する「ジャパン・ハウス」は、ハリウッドハイランドのTCLチャイニーズシアターで、同映画祭の20周年を記念して「スペシャルスクリーニング」を開催した。在ロサンゼルス日本総領事館の共催。【取材、麻生美重】

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 1997年、『萌の朱雀』で、第50回カンヌ国際映画祭カメラ・ドール(新人監督賞)を史上最年少(27歳)で受賞した河瀬直美監督。その後も精力的に映画製作を続け、2007年には『殯の森』で、第60回同映画祭グランプリを受賞。

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海渡り「若松コロニー」形成 日米両国にいる末裔、先祖への思い 小高い丘の上にある小さな墓―。このカリフォルニアの大地に眠るのは、今から150年前、日本から最初にアメリカ本土にやってきた移民団のひとりで、アメリカ本土で最初に亡くなった「日系移民の女の子」の墓だ。彼女の名は伊藤おけい(以下、おけい)。  1869年(明治2年)、夢と希望を胸に会津若松(福島県)からやってきた移民団22人はカリフォルニアにアメリカ本土初の日本人入植地「若松コロニー」を形成した。彼らは日本からアメリカ本土に渡った最初の入植者だ。プロイセン人の武器商人ヘンリー・シュネル率いるこの移民団は、戊辰戦争に破れた会津藩の侍などで形成され、カリフォルニアの地で茶と絹の栽培を試みる。しかしわずか2年で若松コロニーは崩壊。その後、彼らは日米で別々の人生を歩むこととなる。  2019年はこの最初の日系移民がアメリカ本土に入植してから150周年を迎える。そして今、日米両国にいる彼らの末裔が羅府新報に先祖への思いを語ってくれた。  150年前にアメリカ本土へと海を渡った先駆者たちの勇気と開拓者精神に思いを馳せ、この記念すべき年に彼らの歴史をここに振り返ってみたいと思う。【取材=吉田純子】

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 1985年、熊本出身の職人がロサンゼルスに和菓子屋を開店した。日本各地で鳴らした和菓子職人の率いるこの店が、地元の茶の湯で信頼される存在となるのに時間はかからなかった。順調だった店にやがて最初の不幸が訪れ店は窮地に立たされる―。創業者家族から店を受け継ぎ再建させた妹夫婦。いくつもの困難を乗り越え不安に苛まれながらも、兄から受け継いだ職人の技を以って、今では店を順調に切り盛りする。「周りの人に助けられてここまで来た」  ロサンゼルスに残る数少ない和菓子屋のひとつ、「ちからもち」の34年の足取りを取材した。  【麻生美重】

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 ウエストコビナの東サンゲーブルバレー日系コミュニティーセンター(ESGVJCC)の日本語学校(智子・クワン校長)は年末の恒例行事、餅つき大会を15日、同センターの中庭で開いた。生徒約80人と教師、ボランティアスタッフ、父母ら約100人が参加し、掛け声に合わせて力いっぱいに餅をつき、迎春準備を整えた。

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LGBTQ当事者や家族らが意見交換  日系コミュニティーの性的少数者(LGBTQ、レズビアン・ゲイ・バイセクシュアル・トランスジェンダー・クィア)への理解や支援、情報共有などを目的に開催されている集会「Okaeri: A Nikkei LGBTQ Gathering」が11月17日、全米日系人博物館(JANM)で行われた。3回目の開催となった今年は初めて日本語でのワークショップが行われ、日本語を話すLGBTQ当事者、家族、理解者、支援者などおよそ20人が出席。参加者は自身の体験談や意見を交換し、日系コミュニティーにおける性的少数者への理解を求めた。

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写真を通して伝える日系人の今昔 強制収容時と近影を展示  小東京にある全米日系人博物館(JANM)で11月17日から19年4月28日まで、特別展「頑張って! 生き抜く精神のレガシー(Gambatte! Legacy of an Enduring Spirit)」が開催されている。第二次世界大戦中に強制収容された日系人と、彼らの近年の姿を写した写真が展示され、日系人がたどった歴史と彼らにまつわる物語を写真を通して知ることができる。18日には来米していた福田康夫元総理も見学。日系人の苦難と努力に共感を寄せた。【写真=吉田純子】

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 コスタメサにある日系スーパーマーケット「ミツワ・マーケットプレイス」内の店舗に9日、強盗が押し入り、高級ブランドのバックなどを盗みそのまま逃走した。コスタメサ警察は10日、犯行の一部始終をとらえた防犯カメラの映像を公開。情報を求めている。

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